りょうた

アランのりょうたのレビュー・感想・評価

アラン(1934年製作の映画)
4.2
ウバザメの漁が印象的。思い出したのが、ロッセリーニの『ストロンボリ』のマグロ漁のシーン。ロッセリーニのマグロ漁のシーンがお気に入りなのだが、それに比べてカットを割り過ぎている印象。もっとじっくり見たいのに!と言ってしまうような。それでも緊張感のあるドラマチックなシーン。『極北のナヌーク』を前にみていたこともあり、巨大生物との格闘は外せない要素といえるだろう。前回は2トンのセイウチで、今回は尾鰭だけで成人男性ほどの大きさのウバザメ。ありきたりな表現だが、「生に関する映画」だ。こうして巨大な生物を生きるために捕獲し、サメの肝臓から灯油を作る。地質的に耕作する土がないから、バケツ数杯の土を集めるために歩き回り、砕いた岩と海藻を混ぜて土を作る。それは原始的な生活で、今我々は当たり前のように無視してきた生き方だ。それはこの映画が公開された時もそうだろう。この作品を見ながら、不作の年は涙を流すのはもっともだし、家族のために危険な海に出ていき、自分の何十倍のサメを捕まえる。そうしないと死んでしまうのだから。実際に『極北のナヌーク』に登場したナヌークは公開の二年後に餓死してしまっている。そういう状況の人々をフラハティはフィルムに収めているのだ。ぼくたちは生きているのか、生きた気になっているだけなのか。そんなことを考えてしまう。
父親が海を見つめるバストショットなど、演出が加わっているだろう(なんといえばいいのか、しっくりくる言葉を探している。劇映画的とは言わない)。また、POVがいくつもある。劇映画だからPOVがあるとか、ドキュメンタリーだからPOVはないとか、そういう解釈はできない。このころからそうだったのだ。ドキュメンタリーとフィクション何て表面的な区別のために作られたと、最近強く思う。超ロングショットが効果的に使われている。だが「人間は自然に比べるとちっぽけな存在だ」とあることから、形式的だともいえるか。
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