TaiRa

スリ(掏摸)のTaiRaのレビュー・感想・評価

スリ(掏摸)(1959年製作の映画)
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再見。ブレッソンの手法と内容が一番シームレスに繋がってる。ディティールを映す事や感情を表に出さない事とか。

多くは語らないが生きる意味について問うている。それに辿り着くまでに長い回り道。男は仕事もせず、恋人もいない。神も信じず、唯一の家族である母親は死期が近い。非凡な人間は一般的な道徳/法を超えても構わない、と『罪と罰』のラスコーリニコフの様に語ってみせる。そして男はスリの常習犯に転身して行く。失敗を重ねつつスリの技術を磨く過程、修行パートといえる一連の場面がシンプルに楽しい。数々の実用的な(?)技はともかく、反射神経を鍛える為にピンボールをやるなんて、そういうものか?と。ブレッソン特有の手のクロースアップが必然性を持つお題としてスリは完璧。冒頭の競馬場でのスリリングな時間の使い方、電車内の緊張感、仲間が出来てからのチームワーク戦の流麗さ。麗しきヒロインが登場しても男はその存在に気を止める事が出来ない。それこそが唯一意味のあるものなのに。彼女が扉の下に差し込んだ手紙に直ぐに気付けないのが彼の状況を端的に表す。この部分も足だけで気付きを描くのが上手い。彼女の為なら堅気になって働けると証明したのに、本人だけがそれに気付いていないのも滑稽。最後の最後に、ようやく真実に気付く面会室の場面は美しい。非凡であるかどうか、倫理や法、神、全て関係ない。人生にたった一つ必要なものに気付くまでの長過ぎた回り道。
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