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魔人ドラキュラのmasatのレビュー・感想・評価

魔人ドラキュラ(1931年製作の映画)
2.9
カメラマンは踊る、いや凝る。
この時代にも、凝る奴はいる。
ドイツ映画の代表作『メトロポリス』(26)を撮った後にアメリカに亡命した撮影監督カール・フロイント。フリッツ・ラングやムルナウのカメラマンとしてドイツで鳴らした腕前をアメリカへ流入させた。そう、最大の功績は、ドイツ映画の、ヨーロッパ特有の“陰翳”をハリウッドへと持ち込んだ男という点だろう。

ハリウッドに渡って撮影2作目の本作で、その妖しさは、遺憾無く発揮されている。品がある“いかがわしさ”とでも言おうか。芸術的であり、不気味。
この大ヒットによって、ハリウッドの、いやホラー映画のLOOKとそのセオリーは決まったと言える。
そして当然、以後現れる吸血鬼モノは、本作の呪縛から離れられなくなる。
また、興味深い点は、ブラム・ストーカーの原作からの飛躍だ。無駄なところを剃って剃って削ぎ落とす。例えば、本作の10年前に創られた『吸血鬼ノスフェラトゥ』(22)では、病原菌=ペストの流行と吸血鬼の上陸及び性質を照らし合わせ、その時代性を立ち上らせているが、そういう、ある種ややこしい設定を殆ど排除している。
即ち、エンタメの起承転結に徹するという、これぞハリウッドの妙味!が、垣間見られるところが面白い。

ハリウッドの妙味とヨーロッパ的な陰翳が見事に融合している名編となり、ハリウッド史及び映画史にとって、大変重要な作品となった。

さらに言うと、多国籍な文化を一つに纏め上げ、オリジナリティを追求するハリウッドの凄さ、即ち、多くの移民を受け入れた多国籍国家アメリカの懐の深さと凄ささえ、この一本の映画を通して感じられた。

また、それもこれも監督トッド・ブラウニングの力と趣味、なのか?は研究のしどころだろうか。彼が翌年、『フリークス(怪物団)』(32)を撮り、ハリウッドから顰蹙を買ったのをどう捉えるか?
同時に、翌年、カール・フロイントは『ミイラ再生』(32)により、監督としてのデビューを果たす。ミイラ男、を演出するのである。しかし、後にも監督作はあるにはあるが監督としては成功作はなかった・・・。ここでも、撮影監督出身者で監督として成功した者はいない、という映画史の呪い、いや“伝統”が現れている。

以上の様に、本作の監督と撮影者、この二人の翌年の動向を見ると、やはりハリウッドは、プロデューサーのものである、と言うことが垣間見られる訳だ。

最後に、
ラストのヴァン・ヘルシング教授の行動はなんだったのか?
ドラキュラの棺の横にある棺の中身は?ヒロインたちに先に行きなさいと言い、その後、あの廃墟で何をしていたのか?
この謎はなんなのか?
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