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ラヴ・ストリームスの遊のレビュー・感想・評価

ラヴ・ストリームス(1983年製作の映画)
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一回鑑賞しただけじゃ消化しきれない させてくれない

金はありあまるほど持っている
愛も内から延々と湧き出てくる
でもその流れ込む場所が見つからない 定まらない

愛は流れる 愛そのものがひとところには定まらないもの だけど愛は「ここにいてくれよ」と言わせてしまう 解決し得ない人間の業だ

芸術が「生」とか「死」とか「幸福」とかのwhatやhowを表現するものだとするなら(whyに踏み込むと宗教/説教じみてくる)、この作品はカサヴェテスが真っ向から「愛」に取り組んだ純粋な芸術だと思う
こわれゆく女もオープニング・ナイトもとびきり突き抜けた映画作品だけど、芸術としてはラヴ・ストリームスがさらに一段階高い次元にいってる気がした

普遍的なテーマに正面からぶつかったときに圧倒的な独自性が立ち現れることが芸術家の資質なのかもしれないな ぶつかれるかどうかも込みで

DVDを買ってよかった いつでもまた観れる環境にあれる重要性

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2023/7/10 2回目 イメージ・フォーラム

愛は流血?
愛はドクドクと絶え間なく身体の外へ溢れ出ていく、生暖かくて赤い液体 それは生きている証 でも、流れ出たのと同じぶんだけ誰かから注いでもらわないと、いずれは意識が遠のき死ぬ

反復される「バランスを取る」という台詞
「愛する」と「愛される」のバランスなのか、「愛の注ぎ込み先」のバランスなのか、ただただ「バランスが取れていない」ことだけは明らか

ロバートは内から溢れ出る愛をひとところに留められず、夜な夜な違う女を抱きに行く
サラは内から溢れ出る愛をひとところに注ぎ込みたくて、別れた旦那と娘に絡み続ける
なのに、ロバートがサラに「この家に留まれ」と言うとき、サラはそれを拒絶して家を出ていく
男の愛は精子のごとく、女の愛は卵子のごとく、相反するもののように見えても 愛は誰にとってもただ「留まりたくても留まれない」もので
生きるというのは、心臓がポンプして血液が流れ続けることだから
愛のゴールはやはり死にしか見出せず、生きてる間は愛を求めて苦しむのが人間のさだめ

改めて、考えることが多すぎる...デカすぎる映画 観るたびに何回でも愛についての新しい考察を捗らせてくれる
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