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目次
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『最後の貴族』に投稿された感想・評価
Jeffreyの感想・評価
2021/11/15 07:49
3.5
「最後の貴族」
〜最初に一言、傑作。「芙蓉鎮」と言う大傑作を世に送り出した中国映画監督としては最も古い世代に属する謝晋が次回作に撮ったオール海外ロケの本作は、三〇年代のハリウッド映画黄金期を彷仏とさせるブルジョアな女性たち四人の運命を描いた中国的な土の匂いがしない圧倒的米国映画の影響が垣間見れるVHSのまま残しておくのには惜しいスペクタクル映画である〜
本作は「芙蓉鎮」で日本でも知られている謝晋(シェ・チン)が一九八九年に監督した中国激動の荒波にのまれ陥ってゆく運命の悲劇を描く歴史ドラマで、この度やっとVHSを見つけ購入して初見したが、素晴らしい。ここ最近VHSにかなりの金額を使ってる…。観たいのがどれもソフト化されてない現状は辛いものよ…。配給が日本ヘラルド映画だと殆どの名画がビデオのまま埋もれてる傾向にあるな…倒産してしまって著作権がどうなってんだかって問題があるんだろうが…。本作の脚本は白先勇の「謫仙記」を原作に、白樺と孫正国の共同、撮影は蘆俊福、音楽は金復載が担当している。
本作は、中国映画絵画制作費五億円、史上初の大掛かりなアメリカ、ヨーロッパロケの実施等をかつてないスケールの下、再び世界に向けて送り出した作品で、すでに世界的なスケールで絶賛を集める傑作を世に送り出してきた中国映画のまだ知らぬ名作のー本である。時代背景は一九四〇年代、共産党指導下による新中国成立前後の激動の季節で、国民党高級官僚の令嬢として何不自由ない生活をしてきたとある女と言う娘が未来への希望に燃えてアメリカへ留学する。だが五年に及ぶ内戦の末共産党に敗れた蒋介石率いる国民党は、台湾への撤退を決定。彼女の両親も客船で台湾へと向かうが、その途上、船は遭難する。両親と共に不帰の一人になってしまう。それから彼女のバラ色の人生は狂いだすと言う内容だが、監督は、八十七年作品の大傑作「芙蓉鎮」が日本でも大ヒットし話題となった人で、当時の中国映画は、国際的には張芸謀、陳凱歌らニューウェーブ世代=第五世代の監督たちの台頭が多大な注目を集めてきたが、もうー人の国際派、謝晋(シェ・チン)は現役の中国映画監督としては最も古い世代に属する、一九二三年生まれの第三世代監督である。
若い頃より上海で演劇活動、映画活動に携わった生砕の上海映画人で、デビュー以来今日まで一貫して上海映画撮影所の監督を務めている。「芙蓉鎮」に典型的に表れていたように、とりわけ文化大革命終結後の監督は、文革期を舞台に激動する時代、社会の犠牲となっていく人間の悲劇を好んで描いてきている。本作でもうそうした視線は健在である。時代背景こそ中国にとってもう一つの激動の時代国民党対共産党の内戦とその結果としての共産主義新中国設立の頃をバックボーンとしているものの、その時代の荒波に揉まれていく一人の女性の生き様を、監督ならではのヒューマニスティックの筆致で描きあげている。豚になっても生きろとは「芙蓉鎮」の印象的なメッセージだが、「最後の貴族」では豚になってまでは生きられない女性がヒロインだ。奇しくも「最後の貴族」と同じ八九年、もう一つの中国語映画の代表作「悲情城市」(ベネチア国際映画祭最高賞金獅子賞を初めて台湾映画が受賞した記念すべき作品「候孝賢監督」)が同じ時代、同じ出来事(蒋介石国民党の台湾への移動)を背景に発表された。
その際、中国作品「最後の貴族」の方が国民党側の人間に同情的に、台湾作品「悲情城市」の方が国民党側の人間に批判的な視点を持って描かれていた事は注目に値する。原作はアメリカ国籍を持つ台湾の現在小説作家、白先勇の短編小説を下にしており、彼の作品の映画化は、台湾ニューウェーブ監督のー人、張毅の「悲しい愛」が日本でもよく知られているほか、同じく台湾ニューウェーブ監督の一人、虞戡平(イー・カンピン)による「孽子」などがある。原作者自身国民党高級将校の息子として中国に生まれ、四十六年、大陸から香港を経て台湾に渡り、その後アメリカ国籍をとっていることでわかるとおり、「最後の貴族」の作品世界には多分にこの時代の中国政治情勢に翻弄された作者自身の経験が投影されていると考えられる。その脚本家に当たったのは先ほども述べた二人で、その一人白樺はかつて共産党政府によって批判され、後に胡耀邦によって救われることでも有名な、中国の著名作家である事は言うまでもない。
中国では小説家が映画脚本を執筆する事はしばしばあるケースだが、彼が他の小説家の作品を脚本化するのはこれが初めてだそうだ。一方の孫正国は虞戡平(イー・カンピン)の「孽子」に引き続いての白先勇原作の脚本化となった。時代の荒波に揉まれる人間像を描く事と共に謝晋映画のもう一つの一貫した特徴は、常に映画が女優第一に作られるものであること。これまでにも数多くの女優が彼によって育てられてまたキャリアに転機をもたらされてきた。当初「最後の貴族」のヒロインに予定されていたのは台湾、香港映画界で活躍するトップスター、「北京オペラブルース」のブリジット・リン。しかし政治的理由もあってこれは果たせず、中国のトップ女優の潘虹がヒロインに起用された。彼女の十五作目の主演作となる本作は、彼女のキャリアの中でも最も重要な跳躍点となる作品と言えるのではないだろうか。その他の女優たちも、いずれもがこの時代の貴族的雰囲気を再現するのにふさわしい豪華な顔ぶれである。
さて、物語は一九四八年の晩春に始まる。上海フランス租界に建つ洋館。イギリス、フランス、イタリア大使を歴任した父の愛を一身に集めて成長した李丹彡は、この日二十歳の誕生日を迎えた。ハッピーバースデーの歌声の中、彼女はバースデーケーキのろうそくを吹き消し外交官となる夢を託した。彼女を祝福する輪の中には多くの友人たちに混じって、彼女に思いを寄せる陳寅の姿もあった。その夜、彼女の母は祖母緑と呼ばれ、家宝として代々伝えられてきた指輪を娘に与え、愛娘の幸多からんことを祈るのであった。それから彼女は親しい友人の黄彗芬、雷芝苓、張嘉行と共に喜びあふれてアメリカ留学の第一歩を印した。自らをそれぞれ中国、アメリカ、イギリス、ロシアの四強と呼ぶ四人の忙しくも充実した留学生活が始まった。彼女は留学生の中で最初の模範生に選ばれるなど、ひときわ目立つ存在だった。しかし彼女たちは家族への思いを片時も忘れる事はなかった。
一九四九年を迎えるニューイヤーパーティーで新年の鐘の音を聞きながら、四人はアメリカでの最も楽しい時を過ごしていた。ー通の電報が届られたのはその時である。電報は彼女の両親が乗った客船が台湾へ向かう途中遭難し、不帰となったことを伝えていた。その頃中国では国民党が追われ、共産党政府が誕生、彼女たちを取り巻く環境は大きく変化していった。彼女の痛手はあまりに大きく心の傷は癒しようがなかった。彼女は三人の友に別れを告げる決心をして、どこへ行くと言うあてのない旅に出た。彼女が姿を消し、いくつもの季節が過ぎた。いつしか陳寅と黄彗芬は愛し合うようになり、張嘉行も小児科医の元へ嫁ぐことになった。ただ雷芝苓だけが上海で別れた許嫁を待ち続けていた。消息途絶えていた李丹彡が皆の前に現れたのは二組の結婚式の日のことだった。
艶やかな装い、派手やかな振る舞い、彼女は以前にも増して光彩を放つ存在となっていた。しかし、そこにはかつての彼女の面影はなかった。作られた笑顔とは裏腹に、表情には苦渋の色が顕れていた。陳寅と踊りながら、彼女は胸に万感の思いが去来するのを抑えることができなかった。過ぎ去りし日々はこんなにも懐かしいものなのか。それは陳寅とて同じであった。目の前の全てが夢のように過ぎていく。いつしか彼女は何かを振り払おうとするかのように一人で踊り始めていた。できることなら夢の中でいつまでも踊り続けていたい。夢から醒めた時、彼女は心の憂を人にぶつけてしまう自分をどうすることもできなかった。黄彗芬には彼女の気持ちが痛いほどよくわかっていた。心配した彼女は陳寅に李丹彡を家まで送るように頼んだ。車の中で二人の間には長い沈黙が続いた。やがて車は高級マンションに横付けされた。彼女は端戸ある男性の愛人になっていたのである。
しばらくして彼女は姿を消す。時が過ぎ、やがて黄彗芬と嘉行は母となり、芝苓は大学に残り助教授に昇格していた。李丹彡が彼女たちの前に戻ってきたのはそんな頃であった。だが彼女はもう昔日の彼女ではなかった。南アメリカの男性と派手に付き合い、ついに酒の上のことが原因で警察に留置されてしまう。黄彗芬はそんな彼女に心を痛め、陳寅に警察へ迎えに行ってもらった。そこで出会った彼女の零落ぶりに陳寅は悲しまずにはおれなかった。場末のパブの片隅で彼女は、陳寅に初めて心情を口にした。過ぎ去った日々は帰らず、すでにやり直しのきかないところまで来ていた。彼女が再び姿を消したのは、それからしばらくしてのことである。長い漂泊の果てに彼女は父母の足跡をたどり、失ってしまったものを訪ねてベニスたどり着いた。
そこは彼女の誕生の地であった。ベニスの地で彼女は懐かしい故郷の言葉を耳にした。かつて上海に亡命したことのあるロシアのバイオリン弾きの話から、彼女は世界中の水はーつにつながっているのだと教えられる。波戸場に立ち遙か故郷を思う李丹彡。無数の飛沫が砕け散っていく。李丹彡の姿はもうそこにはなかった。悲嘆と未練を残したまま…とがっつり説明するとこんな感じで、記憶が曖昧だが確か監督は日本でも「炎の女」と言うものを撮影しており、本作が最初の海外ロケではないものの、全体の七〇%をニューヨークとベネチアで撮影したと言う点では、「最後の貴族」が初の本格的な海外ロケ作品と言っても良いのかもしれない。そもそもこのような映画は、異郷に生きる中国人の世界を描き、これまで国内の作品にほとんど取り上げられることのなかったものを、異郷に生きる中国人の世界と言うものが、そもそも国内の作家たちには体験することができないと言うことで、中国の開放政策によって海外の外国籍中国人作家の作品が国内の出版物にも登場するようになったんだなと思った。
それにしてもこの作品の物語が一九四〇年から一九五〇年代にかけてのニューヨークを舞台にした物語だから、八〇年代に撮影しているため、タイムズスクエア周辺など広告だらけでなかなか撮影に困難をきたしたんじゃないかなと推測する。八〇年代に走る車も四〇年代とははるかに違うだろうし…。それにしても四〇年代後半から五〇年代にかけて、多くの中国人が大陸から台湾へ渡って、彼らの前半生は大陸で、後半性は台湾で過ぎていったんだなと…だから、原作者の作品の映画化にあたっては大陸と台湾にまたがって撮影が行われるのが望ましいと監督は思ったはずである。そうすれば作品はより完成されたものになったと思うし、中華民族がくぐり抜けなければならなかったーつの深刻な時代そのものが、この「最後の貴族」には描かれており、無常を描き出した傑作と言って過言では無い。まさに今日的意義を持つ作品だ。監督はこの映画に対して、世界中の多くの国々で多くの観客の共感を呼び起こすことでしょうとメッセージを送っていた。
正直な話、ハリウッド映画の黄金期である一九三〇年代頃の米国映画を彷仏させるようなブルジョアたちの日常が描かれており、どこかしらチャイニーズ・ムービーっぽくないのがこの映画のひとつの特徴だろう。当時の中国映画にはアメリカ映画の影響が圧倒的だったと思うが、もともと上海は大東亜戦争が始まる時まで欧米列強の租界が広い地域を占めていた特異な大都市とされており、アメリカのモダン文化が浸透していた頃だと思われる。この映画見ると思うのだが、戦前の中国映画の黄金時代だった一九三五年から三七年(この年代は映画評論家の佐藤忠男によると…である)頃の作品にもアメリカ映画の影響は強烈で、それがもう一度開花したかのような映画でもある。ハリウッドタッチの上海映画の一つの頂点であり、中国的な風土が感じ取れない映画でもある。なんといったってニューヨークを舞台にして社交に明け暮れる女たちの楽しい日々ばかりを描いているのだから(暗くなっていくが)。
この映画はあくまでもニューヨークを舞台にしている一九四〇年代後半から六〇年頃までを扱っているため、中国の内戦は描かれていないが、歴史を踏まえるならば、この時は中国は内戦の最中にあり、共産党政権誕生と言う歴史の大転換期を迎えようとしているのだ。これに先立つ抗日戦争は、蒋介石を主班として国民党と共産党との提携、すなわち国共合作と言う形態で戦われたのだ。しかし、国共両党は存立の基盤が根本的に相容れない関係にあり、もともと武力対決していたのであって、日本と言う共通の敵が倒れてしまえば、もはや共産は望むべくものなかったとされている。こうして、国民政府は、圧倒的に優勢な武力を有していたにもかかわらず、敗れて台湾に逃れ、大陸には中華人民共和国が設立したのだ。これが一九四九年十月の事である。因みに外相人と内相人の苦悩を描いた台湾映画の傑作エドワード・ヤンの「クーリンチェ少年殺人事件」と言う約四時間の映画がある。
そこからの歴史も語るとかなり長くなってしまうため割愛するが、こうして、五〇年代の中米関係は朝鮮戦争を経て緊張の一途をたどり、米国ではマッカーシズムと言う反共の嵐が吹き荒れて中国では社会主義的改造を目指して政府運動が繰り返され、反米帝の非難が募るのだ。中国は物語の人物たちからますます遠のいていく。早大教授の中国現代文学の杉本達夫氏の執筆した書籍を読むと、この映画では中国系市民の地位については話題になっていないようだ。中国人のアメリカ移住の歴史は長くて、十九世紀には移住者が十万人を超えた時期もあり、西部開拓、鉄道敷設、鉱山開発など、米国の建築 設のために中国人は血と汗を流したそうだ。その結果得たものは厳しい迫害と排斥と侮蔑であったそうだ。十九世紀以来、国籍法、中国人排斥、移民法などの法律によって、中国人は米国社会への介入を拒否され、チャイナマンと呼ばれて屈辱の日々を強制されてきたとの事。
入国と帰化の制限が緩むのは、一九五〇年代以降、中国に人民共和国が成立し、政治難民が出始めた頃の事だそうだ。チャイナマンと言う呼称は今なお消えず、中国系市民後はすでに概してなお低いらしい。もっとも、一口に中国系市民といっても貧富の差は、上下の差は甚だしいようで、映画の人物たちは住宅街の住人であって、チャイナタウンを形成する人々とは別の社会に生きているのだ。そうすると渡米者と言うのは基本的に豊かな財力に恵まれていてなおかつ優秀な頭脳を持った留学生を含めて、米国で多数の成功者を台湾と香港経由で生んだんだなと思う。長々とレビューしたが、皇族の血を引く母親と、イギリスやイタリアなどヨーロッパ諸国の大使を務めた父を持ち、上海のフランス租界の大邸宅で何不自由なく育った娘にしかできない堕ち方を存分に味わえる作品である。
彼女の誇りと尊厳を見たような気がする。まさにこの映画はえなエイミ・タンの小説「ジョイ・ラック・クラブ」の四人と重なる。とは言え、そちらは留学ではなく移民としてサンフランシスコに住み着いた四人の中国女性とその娘たちの物語だが、とにもかくにも四人の女性たちの人生が詰まった映画である。とりあえず今のところVHSを手にしたのは「天雲山物語」と「最後の貴族」「犬と女と刑老人」「乳泉村の子」でDVDは「芙蓉鎮」と「アヘン戦争」だけで、とりわけ日本国内で上映された「赤軍女性中隊」「三人の李さん」「舞台姉妹」「牧馬人」「炎の女・秋瑾」「戦場に捧げる花」のVHSを今血眼になって探している途中。他の彼のフィルモグラフィの作品を見る限り、メディア化されていないので見る術がない…。ああ、早く制覇したいこの監督の映画。
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マイページの感想・評価
2023/02/16 08:50
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VHS
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チッコーネの感想・評価
2018/02/15 04:56
3.5
「文革前後に国を追われた富裕層」を描くという主題が、興味をそそる作品。
しかし彼らの華麗な生活は冒頭で描かれるのみ。共産党の動きは伝聞程度に抑えられ、主に新天地(米国)に生きる姿を追う。
仕上がりはそれほど斬新ではないものの、80年代の大陸作品において欧米ロケを行い、死の香り漂う退廃した雰囲気を醸そうという試みが、面白かった。また主演女優も美しく、他の女優たちとははっきりと異なるファタール風の色香を振り撒く。
限界ギリギリ(肩まで)のシャワーシーンや、愛欲に溺れない友愛の描き方にも(当時の)中華気質が漂い、新鮮に感じられた。
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