よしおスタンダード

グエムル -漢江の怪物-のよしおスタンダードのレビュー・感想・評価

グエムル -漢江の怪物-(2006年製作の映画)
3.5
【一番怖い怪物[グエムル]・・・それは人間の思惑】

これも「殺人の追憶」と同じく、実に久々の再見。
普通、家族物って、母親が強い存在として引っ張ってくのがセオリーだと思うんだけど、この家族に母親はいない。

むしろ、配偶者に愛想をつかされちゃったり逃げられた男たちのほうが、家族を引っ張っている。そういう点では、ちょっと変わった家族物映画ともいえるかもしれない。

韓国映画ならではの「父権の奪還」が裏テーマともいえる。

それはそうと、この映画で訴えている社会性やそのメタファーについては、あまり興味がないので、私は単純にポン監督の「距離感」に注意してこの映画を見直しました。

そう、ポン監督って、「ほえる犬は噛まない」や「殺人の追憶」「パラサイト」、そして初期の短編、どれを見ても、「被写体」との距離の取り方が抜群にうまいと思うのですよ。

変なたとえかもしれませんが、超一流のボクサーやキックボクサーって、ゴング鳴って相手選手と対峙して数秒で、相手との最適な距離感がわかるって言うじゃないですか。

ポン監督もそういうタイプだと思うんですよ。

「このシーンでの怪物は、漢江と一緒に映したいから引きで撮ろう」「このシーンでは、怪物のグロテスクを強調するために、クローズアップ多めに入れよう」

みたいなわかりやすい距離の取り方から、

「殺人の追憶」の冒頭シーンや、この映画のラストシーンのように、「人物とその背景」を一緒に印象付けられるようにぐっと引いて撮ったり。

言葉で説明するのが難しいですが、監督が、もともと持っている被写体の力を信頼しきっているからこそ、いろんな距離の取り方を選択できる、そんな気がするんです。

被写体をただの被写体だと思っちゃってる監督だと、自分の主観だけでアップにしたり、引きにしたり、中途半端なフレームになっちゃってたりすることがよくあります。

音楽でいえば、「え、なんでここでこのコード??」「この転調、どういう意味??」みたいな「アーティストの我の強さ」を感じて醒めちゃう時ありませんか?(俺だけかな、こんなひねくれた見方してるやつw)

でも、そういう「中途半端さ」や「変な我の強さ」を、ポン・ジュノ作品から感じることは、私はないんです。

そこが彼の最大の良さだと、わたしは思っています。