みんと

ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォーのみんとのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

ある程度ゴダール、トリュフォー作品を観てから観ようと思っていたドキュメンタリー映画。先日レンタルしたトリュフォーの「夜霧の恋人たち」の特典映像で、ラングロワ事件での二人の共闘を観たというのもあり鑑賞。

ドキュメンタリー映画には全く詳しくないので、ドキュメンタリー映画としての評価はしていないので悪しからず…。

「大人は判ってくれない」が上映されたカンヌ映画祭の映像や、「勝手にしやがれ」を実際に鑑賞した人々の意見を聞いて、若き監督二人による“新しい波”がいかにフランス人にとって“衝撃波”だったのかを知れた。フランスの映画文化が若者によって一掃され、「気持ち悪い、馬鹿にしてる、ふざけてる」と批判したご高齢の方もいれば、「受け入れるべきだ」というご高齢の方もいた。このようにヌーヴェル・ヴァーグに対して賛否両論だったのが印象的だったが、映画文化が新世代によって変化する、という体験は私にはないから、その時代のフランスの人々を羨ましくも思った。私が初めてヌーヴェル・ヴァーグ作品を観た時、ビビっと来たのを覚えている。しかしこれは「映画界の革命(“新しい波”)だ!」という衝撃ではなく、単に今まで観たどのハリウッド映画よりも「好みだ!」という衝撃だった。先に述べたように、当時の人々のような衝撃が味わえないのが悔しい。しかし、ゴダール自身が作中のインタビュー映像で、

「ヌーヴェル・ヴァーグは“自由”と“現実”を表現したものである。」
「映画とは芸術と人生を近づけるものだ。現実とはメトロやデパートや車のこと。キャメラは現実の人生を捉える。」

と話していた。

私たちが過ごす“現実”と、それに抑圧されてしまって生まれる“自由”への欲望を表現してくれるから、ゴダールやトリュフォーの作品が好きだと思えるのだと感じた。


観終わった後、「大人は判ってくれない」のラストのアントワーヌ少年の表情、「アメリカの夜」での私生活、アイデンティティに悩む俳優は、トリュフォーとゴダールの板挟みになったレオー自身のようにどうしても感じてしまった。

観たことない作品もいくつか出てきたので、復習がてら観たい!
みんと

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