ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォーの作品情報・感想・評価・動画配信

「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」に投稿された感想・評価

misa

misaの感想・評価

3.0
ヌーヴェルヴァーグについてあんまり詳しくない自分がいた。ゴダールとトリュフォーは仲が良かった。トリュフォーの方が先に成功してた。上映禁止にされた作品もあった。ヌーヴェルヴァーグの人気は数ヶ月だった。
ヌーヴェルヴァーグ作品の端をちょこまか観れたのはよかった。でも、だったらなんなんだろうっていうドキュメンタリーだったなぁ。
Seth

Sethの感想・評価

4.5
苦労人のトリュフォー、裕福な育ちのゴダール
撮影が早いトリュフォー、凝った編集をするゴダール

対照的だからこそ互いに補い合い、良き盟友であった2人の関係がわかって面白いドキュメンタリーだった

各作品の解説や、2人が影響を受けた作家などもわかるので、シネフィル必見笑

『グッパイ、ゴダール』と合わせてみるとより良い。

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メモ
「若きヌーヴェルヴァーグの騎手たち」
ゴダール、トリュフォー、リヴェット、シャブロル

そして彼らの「庇護者」
エリックロメール

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ーゴダールー

映画とは芸術と人生を近づけるものだ
彫刻や絵画は芸術とそのもの
現実とはかけ離れた存在だ

たとえ絵画や音楽が
模倣や再現で現実を移し替えたとしても
現実とはメトロやデパートや車のこと

キャメラは現実の人生を捉える
撮影は人生、キャメラは芸術だ
あるいはその逆かもしれない



ートリュフォーー

混乱した時期には気持ちがぐらついて
芸術を捨てるか政治映画のような
明確な理想に仕えたくなる

その誘惑が現れると私はマティスを考える
彼は三度も戦争を免れた

普仏戦争には若すぎたし
第一次大戦には高齢
第二次大戦には長老だった

インドシナとアルジェリア戦争の間の
1954年に死んだ

魚や女性や花や窓越しの風景の絵を
描き続けた

戦争など取るに足らぬことだった
重要な出来事は何千枚もの絵だ

芸術のための芸術?

違う、
美のための他者に尽くすための芸術だ
ironsand

ironsandの感想・評価

3.5

このレビューはネタバレを含みます

ヌーヴェルヴァーグとは、がわかる。なかなか面白いドキュメンタリーだった。
ある友情とその終わり。
ジャン=リュック・ゴダールは1930年に生まれ、フランソワ・トリュフォーはその2年後に生まれ、映画への愛が二人を結びつけたのですねー。
ふたりがカイエ・デュ・シネマに寄稿していたこと、
1959年、トリュフォーが大人は判ってくれないでカンヌを制したとき、彼はゴダールに勝手にしやがれの原案を提供して彼を助けたというか手伝ったってことになるのかな。
エピソードが知れてけっこうおもしろかったです。
mikanmcs

mikanmcsの感想・評価

4.0
アクションや筋肉系の映画ばっか見てるとナンなので、たまにはこういうのも見るか、と鑑賞。

今でこそ「ステイサム&ドニー・イェン命」の私ですが、若い頃はアメリカン・ニューシネマやヌーヴェルヴァーグにかなりハマっていました。特に「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」は生涯ベストテンに入れたいくらい今でも大好きな映画です。(映画として斬新でしたが、なんといってもベルモンドやジーン・セバーグ、アンナ・カリーナがカッコよかった!トリュフォーも多少見ていましたが、正直、当時は何がいいのかピンと来てませんでした。)

この映画、トリュフォーとゴダール二人の関係を描きながら、ヌーベルバークの栄枯盛衰も学べる、というある意味、教育映画でした。二人共「カイエ・デュ・シネマ」の批評家で仲間だったことくらいは知っていましたが、あとは知らないエピソードだらけで、勉強になりました。

たとえば
・トリュフォーはパリの貧乏人の息子で、労働者階級の出身。ゴダールは家柄が良い裕福な医者の息子でブルジョワジー
・批評家トリュフォーはカンヌに代表される当時のフランス映画界を批判したために「出禁」になった。そこで「大人は判ってくれない」を撮って、世間を見返した
・トリュフォーの「大人は~」がカンヌで熱狂的に受け入れられた時、ゴダールはかなり嫉妬と劣等感に苛まれていた模様
・「勝手にしやがれ」の初期アイデアと物語はトリュフォーのものだった
・ヌーヴェルヴァーグは登場時こそ熱狂的に迎えられたが、それは数ヶ月しか続かず、興行的には失敗の連続だった
・二人は良き仲間だったが、60年代後半の政治の季節を迎え、方向性の違いから仲違いした(トリュフォーは映画へ回帰、ゴダールは政治へ回帰)
・ジャン・ピエール・レオが二人をつなぐ重要な役者。

映画の中ではトリュフォーとゴダールが自分たちのアイドルであるヒッチコック、ハワード・ホークス、フリッツ・ラングはじめ様々な巨匠たちへの尊敬と愛を語っていますが、この辺は「オタク」丸出しで、見ていて微笑ましかったです。

全体の構成としては、当時のフィルムやインタビューからエピソードや解説が語られ、直後に該当する作品の場面が出てくるので、見ていてマジ、勉強になります。(ところで狂言回し役で出てくる男性と女性は誰なのでしょうか。監督とスタッフ?彼らがいるので単なるドキュメンタリー・フィルムではなくて「二人の関係を今の目で洗い直す」感じが出て、良かったと思います)

ハリウッドの娯楽作品は「大衆向け」「大作感」「ヒーロー」「匿名性」を有するのに対し、ヌーヴェルヴァーグの監督たちの映画は「シネフィル(オタク)向け」「パーソナル/手作り感」「アンチヒーロー」「作家性」が顕著です。これじゃ商売としては難しいよね、、いつか飽きられて行き詰まるよね、、というのは想像に固くありませんが、彼らは映画を娯楽ではなく、芸術/表現として認識し、それを若々しい感覚で作品に昇華させました。それらは今も私の心の中に残ってます。ありがとう!

(ちなみに後からWikipediaで見たらトリュフォーは52歳で亡くなりました(早すぎる。。R.I.P.)が、ゴダールは91歳でご存命とのこと。いつまでもお元気で!)
mt

mtの感想・評価

2.1
ヌーヴェルヴァーグにいたるまで(?)の流れをざっくりと見ることができますが、特に発見もなく、おさらいという感じでした。
合間に登場していた男性女性はこのドキュメンタリーの作り手という立場なんでしょうか?あまり釈然としない立場のまま、説明もなかったのですが…
その名を聞いただけで、にんまりと幸せになるような名前の数々が踊り狂うように登場。たまらない。
溢れんばかりの愛の物語、『映画に愛をこめて アメリカの夜』が2人の決別の決定打なんて。最たる悲劇だ…。
かの有名な言葉の通り、やはり、作家は処女作に向かって成長するのですね。
なーんか散漫で印象に残らない。本を読まない人にとってはそこそこお勉強になるが、映画史的なストーリーと二人のストーリーとが中途半端に取り上げられてどっち付かずになってる。俳優のジャン=ピエール・レオを第三の主人公として出したせいで、ますますヌーヴェルヴァーグから焦点がぼやけている。 

ゴダールやJ-P. レオら存命の関係者への新規インタビューがなく、アーカイブ映像の切り貼りだけで退屈だ。それに、このやり方だと、作り手の見せたいものを見せられている感じがどうしても強い。どうもトリュフォーに肩入れしている気配を受ける。

客観的・中立的たれ、などとナイーブなこと言う気は無論ない。問題はむしろゴダールよりトリュフォーを取るという選択肢が実は成り立たない、ということにある。なぜなら、ヌーヴェルヴァーグに意義があったとすれば、それは何よりゴダールの存在にあるからだ。トリュフォーは既存の枠組みに収まる。つまりどこまでいっても「ある映画監督がいました」という話に過ぎない。そうではなくヌーヴェルヴァーグという出来事を認め、主題にするなら、ゴダールを主役にするしかない。それを拒否するなら、こんな映画は撮らないことだ。
えり子

えり子の感想・評価

3.0
トリュフォーは若死にしたけど、ゴダールは今も生きているのね。
ゴダールは戦闘的かつ攻撃的な人で、インタビューでも強気でした。
まあ、でも何かで溝口健二の映画が好きで、来日した時彼の墓参りをしたとか。意外だったわ。
印象的な映画のシーンとインタビューを交えながら、映画制作の新たな波の旗手としてトリュフォーとゴダールを描いたドキュメント。彼らの制作意図は作品のすべてにおいて出現していることが再確認できた。
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