Vecchia guardia(原題)を配信している動画配信サービス

『Vecchia guardia(原題)』の
動画配信サービス情報をご紹介!視聴する方法はある?

Vecchia guardia(原題)
動画配信は2025年10月時点の情報です。最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。
本ページには動画配信サービスのプロモーションが含まれています。
目次

Vecchia guardia(原題)が配信されているサービス一覧

『Vecchia guardia(原題)』が配信されているサービスは見つかりませんでした。

Vecchia guardia(原題)が配信されていないサービス一覧

Prime Video
U-NEXT
DMM TV
Rakuten TV
FOD
TELASA
Lemino
ABEMA
dアニメストア
Hulu
Netflix
WOWOWオンデマンド
アニメタイムズ
Roadstead
J:COM STREAM
TSUTAYA DISCAS

『Vecchia guardia(原題)』に投稿された感想・評価

イタリア・ファシスト党時代の代表的なプロパガンダ作品。ムッソリーニ政権樹立前夜のファシスト蜂起の物語。監督はファシスト党支援のもとで国産映画復興に尽力した“イタリア映画の父”アレッサンドロ・ブラゼッティ。題名「Vecchia guardia」は「古参兵」の意味。撮影は後に「道」(1954)や「甘い生活」(1960)手がける名匠オテッロ・マルテッリ。

【あらすじ】※ネタバレあり
第一次世界大戦後の1922年。イタリアは共産主義者とファシストの間で分断が起こっていた。古くからの町ヴィテルボでは労働組合によるストライキが頻発し公共インフラに混乱を及ぼしていた。病院長クラウディオは看護師たちのストライキに困り果て、彼の長男ロベルトが隊長を務める地元のファシスト組織・黒シャツ隊に助けを求める。黒シャツ隊は看護師が集まるバーを襲撃しヒマシ油を飲ませて懲らしめストライキを止めさせ、市議会議員には閉鎖されている学校を再開しなければ殴打すると脅すなど、実力行使によって日常を取り戻していく。両者の対立が深まる中、発電所がストライキをはじめ町は停電の夜を迎える。黒シャツ党は武器を手に制圧に向かうが、こっそり付いてきたロベルトの弟マリオが発電所からの銃撃で亡くなってしまう。翌日、街全体が喪に服す中、ムッソリーニからのローマ進軍の呼びかけが入る。市民たちの多くは黒シャツ隊に入隊し、父クラウディオも悲しみを胸に長男ロベルトとローマへ向かう。夜明けの道に続々とファシストたちが集結していく。。。

子供の犠牲をダシに使うのはプロパガンダとして卑怯だと思うが、演出的な見どころは多かった。オールロケ映像が戦後ネオリアリズモの先駆であることは勿論、終盤への情緒的な布石となる“少年マリオの手作り時計”の用い方には感心した。

序盤からマリオの時計作りが描写される。完成するのは後半、夕食の家族の前でマリオがスイッチを入れ時計はカチカチと時を刻み始める。その直後にストライキによる停電、悲劇へのカウントダウンが始まる。再び時計が映し出されたとき、マリオはもうこの世にいない。そしてファシスト党勝利のためにローマへと向かう兄と父の背景に、カチカチと時計の音が鳴り響くのである。

時計を残してマリオが不在になった寂しさ、黒シャツ党の車上で逝ったマリオの余韻、そしてファシスト党政権奪取へのカウントダウンと、重曹的な意味を感じさせる秀逸な演出だった。

しかしプロットには欠点があると感じられた。ストライキを労働者の怠慢のように描くのはプロパガンダとして解るが、彼らを暴力で制圧する黒シャツ党のやり方は正義としての説得力が弱い。またマルオの犠牲についても、見つけてすぐに車から退避させておけば回避できたことで、兄と黒シャツ党に落ち度があったように思われた。ラストの父親の変節も今一つ気持ちがわからず、“憂国”の方向へ強引にまとめあげたように感じられた。

本作はファシスト党が依頼したものではなく、当時ファシズムに傾倒していたブラゼッティ監督が自主的に企画したプロパガンダ映画だったとのこと。ファシスト党は映画を重要な国策メディアとして管理していたが、その方針は“徹底的に思想を排した娯楽映画の提供”で、党の人気と安心感を国民に与えることを目的としていた。これに沿って量産されたのが後に“ホワイト・テレフォン映画”と揶揄される、オシャレな白い電話が似合いそうなコメディ群だった。

そんな中で制作された極めて思想的な本作に対し、ファシスト党本部はとまどいを示したと伝えられる。ところが、本作を絶賛したのがナチス党首ヒトラーだった。ブラセッティ監督とマリオを演じた子役がナチスドイツに招待され、上映会の席で称賛を受けたと記録されている。監督は同年にイタリア統一戦争を描いた政治的プロパガンダ映画「1960」(1934)も制作した。

ブラゼッティ監督はファシスト党と協力して1930年に大規模スタジオ「チネチッタ」を建設した人物。本作の翌年には隣接したイタリア国立映画学校を開校し、1920年代には壊滅状態だったイタリア映画の復興をけん引した。映画監督としての評価も高く “イタリア映画の父”と称されている。

戦後、イタリアは国際裁判がなかったためナチスドイツのように映画人が処分を受けることはなく、ブラゼッティ監督も他のファシスト党下の監督と同様に変節、幅広いジャンルの作品を残した。彼らは現在では忘れられた監督となり隠れた名作群が眠っている。

※ヒマシ油(工業用の植物油の一種)は人間が飲むと強烈な下痢を起こすため黒シャツ党が拷問に用いていた

※雑感
「子供の未来を守る」「家族や仲間との絆」という文言は愛国ファシストが必ず口にする常套句だ。