「実在」としてのイエスは、どのような人物だったのか──?
できるだけ解釈を排除して、聖書に記された内容のみを誇張なしに描こうとするパゾリーニのアプローチは、多分意図としてはブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』に近い。
もし紀元1世紀にカメラがあって、聖書に記された通りのことをやっていたとしたら、イエスはどう見えるのか? そういうアプローチだ。
聖書の内容は知っていて当たり前というふうに矢継ぎ早の編集で展開されるので、子どもの頃に読んだきりの自分はいちいち聖書を参照しながらの(つまりは長時間の)鑑賞となった。確かに退屈はしないのだけど、映画館で見ていたらよく分からなかったかも。
「これを見て、イエスをキリストと呼ぶか? 呼ばないか? それともそもそも"キリスト"などというものは存在するのか?」
無神論者であるパゾリーニ自身の答えは言わずもがなで、それはまるで「回想」のようなラストの復活シーンを見ても明らかだ。だが、観ている我々は必ずしも彼と同じ結論にたどり着く必要がない。その懐の深さこそ、この映画が「優れている」ことの証明なのだろう。