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Myth of Man
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Prime Video

Myth of Man

Prime Videoで、『Myth of Manは見放題配信中です。
Prime Videoには初回30日間無料体験期間があります。
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配信状況無料期間と料金
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600円(税込)初回30日間無料13,000作品以上可能3端末-
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支払い方法
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Prime Videoの特徴

  • 業界最安値水準のコストパフォーマンス
  • 定番作品の網羅性と質の高いオリジナル作品
  • 様々なプライム会員特典が利用可能

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  8. 再び画面をスクロールし、「会員資格を終了する」ボタンを押します。

  9. 再び画面をスクロールし、「特典と会員資格を終了」ボタンを押します。

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『Myth of Man』に投稿された感想・評価

仕掛け絵本のような世界観。人の温もり、触れ合いや繋がり、人の存在を感覚的に喜び尊び感動させられる不思議な映画だった。
今の時代が色濃く反映されていたなって感じ。困ってる人を助けたい、その想いを大事にしていたなって思う。大切な人との思い出を大事にしていたなって思う。他人を信じるっていうことが試されていたなって思う。
物語は頻繁に動き続けるし、自然と温かい気持ちになるから凄く良い映画だった。
セリフが無いからかなり余白があり、そこに自分に合った自分が必要とする答えを当てはめられる。この映画で誰しもが、どんな形であれ救われてほしいというそういう大らかな余白に思えた。

「The Frame」と「Ink」同様に撮影、編集、音楽を監督が。キャスティング、衣装、音響を監督の奥さんがやっているみたい。やっぱり相変わらず音楽が凄く良いからエンドロールで監督の名前があって納得。監督の過去作全部、物語と音楽の相性が良い。
役者さんもみんなハマり役というか、納得のキャラクターだった。ところどころフッと笑える愛嬌もあり、みんな良い表情や眼差しをしていた。肝心な場面での表情や佇まいがみんな本当に良かった。人間であることのままならなさに直面する数々の場面で、声もなくそれを伝えてくるのが凄く良かった。/

耳が聞こえなくて話せない主人公の視点で物語が進むから、セリフが聞こえない。
言語的な説明が一切、無いから感覚的な理解をするしかないんだけど、人の存在や行動とその繋がりや偶然が言葉を必要としない形で感情を揺れ動かしてくる。共感というコミュニケーションを誘発してくれる、分かりやすく、そうさせてくれる。優しい感情の起こる方へ導いてくれる。

絵本には音も声も動きもないけれど、絵本を読んでいる人の頭の中には全てある。頭の中では音が鳴って声がして動いているし、絵本の世界が実在する。現実とかけ離れた世界がそこでは現実になる。その想像の光景が、夢の中で展開しているような感覚。夢は記憶や体験を基にしていて、非現実的な現実でそれが絵本の空想世界と混ざり合っているような、絵本仕掛けに組み立てられたような映画だった。

時代が悪いのか、AIが作った映画のように見えてしまう。でも時代が良かったから、誰かが制作しネット上に公開している3DCGや画像を多用しているらしく一人では描けない不思議な世界観を作り上げられていたと思う。
世界中の人たちの力を借りて、手を取り、繋ぎ合わせて作品にしている、主人公と同じように。

見ず知らずの人たちがたまたまそこに居合わせて、手に触れて手を取り合うことで互いを救うことができた。そういう瞬間が生まれた。そうしなければ、そこにいなければ、彼らでなければ、そうはならなかったっていう実存についての物語だったと思う。

世界を一人で救うのではなく、複数人で世界を救うと信じる主人公だったから他者を巻き込んで奇跡を起こした。主人公の信じるものをみんなが救ったのと同時に、主人公はみんなの価値を信じてみんなを救ったんだろうなって思う。

主人公の存在は、あなたたち全員で世界を救うんだよ、それを伝えに来たんだよっていう使者としてそこに居たんだと思う。みんなを救う存在として主人公が居た。
そして主人公の周りに集った人たちは、主人公を救う存在としてそこに居たってことなんだろうなって思う。/

伝説を信じることが、伝説を実現することになればいいなと思う。伝説は何もしなければ、事例のないただの伝説でしかない。でも誰かが信じて、誰かが何かをしたならばそれは伝説のままではいられなくなるかもしれない。伝説を現実にしてしまうかもしれない。
そこにあるだけのものは、そこにあるだけでそこにあるままにしかならない。でも、動き出せば、何かをすればそこにあるものへ近づけるかもしれない、違った角度から見えるかもしれない、色が見えるかもしれない、温度を感じるかもしれない、音が聞こえるかもしれない、手が届くかもしれない。

物語に惹きつけられる人は、その物語を語り継ぐ人になる。物語を信じる人は、物語を現実にしてしまう人になる。
そういう願いが込められていた気がする。物語の周りにいた人、そこに集まった人に物語を託す。

あなたも何かと戦っているんだね。あなたも、あなたなりに戦っているんだね。あなたにも信じている物語があるんだね。
人の戦いを見てあげられる。戦っていることに気づいてあげられる。それは大事なことだと思った。
戦っている人に気付けるのは、戦いに身を投じている強い人であることにも気付いてる。きっとその人は、何かを成し遂げる。その人について行くこと、その人を連れて行くこと、そこにはきっと価値がある。

伝説も、本当はホラだったかもしれない。そんなことが起こる運命でなかったかもしれない。信じて始めなければ、始まりはしなかったものがあって、始まることで連なったいくつもの偶然があった。偶然が重なって、伝説なんて無いところに、伝説を創り出したのかもしれない。分かりっこないけれど、現実に実際に起きたことは現実では否定できない。
そういうものを人の存在は、起こし得るということ。知覚できるということ。関われる、一部になれる、一員になれる。自分も、知らない誰かも携わっているかもしれないこと。そう思えること、そうできることは、人の素晴らしさなのかなって思った。
そこに巻き込まれた人たちの心は、きっと温かい。/

絵本のようなおとぎ話を、空想の世界観を渡り歩いて現実の苦難を乗り越えていく。毒煙の災害、接触感染、格差、信仰、喪失、死。
身体的欠陥、肉体の改造、一部分の機械化。感覚を代償にして体に異物を取り付ける。五感のひとつを付け替える。健康な肉体。病を克服する。新時代の人類。改造、整形。
歌声が出せなくなる。その代わり病にかからなくなる。だけど、歌声を失う。
人が別の形になる、異なる存在になることの違和感や恐怖感。
それはその時その時代の世界が偶然生み出したものなんだろうか?

現実の問題を空想世界の解答に塗り替えて行く。空想世界の救いを信じ続ける。

運命とか偶然とか。言い伝えとか、神話とか。
それを紡いできた、紡がれてきたってことは多くの人の心を打ち、多くの心を繋いできたってことなんだろうなって。繋がれた心がまた別の誰かの心を繋ぐ。これまでの人の心が、今の人たちの心を繋いで、これからの人たちの心へと繋がり、繋いで行く。
その時代、その場にいた人たちの心が繋がっていく。多くの人にとっては言い伝えや神話、物語でしかないかもしれないけど、どこかの誰かにとっては真実として降りかかるのかもしれない。/

大切な人を喪ったらきっとその大切な人の存在は世界から薄れていってしまう、消えていってしまう、そしていつか無かったことになってしまう。そうならないために、大切な人を世界に残すためにならどんなことでもしてしまうだろうなって。

大切な人の存在を世界に書き留めておく。そのために街中の壁に絵を描く、それが落書きと見なされて犯罪だと言われても、人の目に触れたのならその数だけ記憶に残りその瞬間だけはまるで生きている。
大切な人の絵を街中に描いたら、街のあちらこちらにその人たちは居て、居場所があって、消えてしまうその時までいつまでもそこに居てくれる。

誰かの存在を無かったことにしたくない人達の活動として、染料を壁にぶちまけて人物画を描くという環境活動家のような行為はなんとも切なくも虚しくもあった。

頭の中にあるものを、実際に描けることは希望だなって思った。頭に思い描けることを現実にも描けるのなら、自分が生きてさえいれば失わずに済む、そのために生きた続けることを選べたら良いなと思う。
もし写真や動画が残っていなかったとしても、頭の中に思い出が残っていたらそのイメージを現実に描ける。
街中に大切な人を書き残していたあの人は、その練習をしていたのかな。もし、形があるものが残っていなくても失くしてしまっても、記憶があればまだ描けることを確かめようとしていたのかな。まだ終わりじゃ無いと、そしてもう終わりは無いと。誰かの記憶に残り続けていれば、また誰かが描いてくれていつまでも消えることなく、いつの時代にも存在が許されると、そう信じているのかな。

忘れられない形で描くこと。
最大限の工夫をして、大切な人の存在を書き記すこと。記憶に残る工夫をすること。忘れられない思い出として。その一筆に、その瞬間に、賭けた表現をして大切な人を描き切る。
全身全霊で、無かったことになんてしない、そういう強い想いがあったように思った。/

人物画や似顔絵はこの世界には、あなた達が居る、あなた達は居た、私は覚えている、みんな覚えていて、そういう想いを残しておくものなんだろうなって思う。
私はあなたを見つけたんだってことを伝えてるんだろうなって。あなたがこの世界に居ることを知っているよって。その記憶や想いを他者に託して行くんだろうなって思う。

自分の絵を描いてもらえるっていうのは、確かに自分以外の人から自分の存在が認識されている安心感になるなって思う。似顔絵を描いてもらえるほど見つめられていた事実が、自分の存在を濃厚にする。人物画を描いてもらうほど立派なもんだなんて気恥ずかしく思うことも、自分が今ここにいる絶対的な確証になる。他者の、観測者の目に自分が映っていることで、自分の存在がこの世界に固定される。/

この人のことを見てあげて、知ってあげて、助けてあげてって空のお星様に似顔絵を見せる。

助けてあげて、見てあげて、知ってあげて、どうかこの子たちのために。どうか、この人たちに会いに来て。私にはどうすることもできない。だからどうか、私の代わりに助けてあげて。どうかあなたが、彼らのことを知って、助けてあげてください。

自分のことを考えず、ただ、今困ってるこの人を助けてあげて、という思いだけになる瞬間がある。その一心で、祈ることができる。それって人がする行いのなかで、とても素敵なものだと思う。

でも、どんなに人のことを想ってあげられても、その祈りに自分の番が来てしまうのは悲しい。他者の存在を救ってあげてと祈ってあげていられた人が、今度は自分を救ってと祈るしかなくなるほど追い詰められ、同じ状況になるなんて悲しい。人のために祈るには、まず自分に余裕がなければ他人を優先できない。

人はみんな困ってる人を助けたいと思っているもんだよ。でも自分がそれどころじゃないから、人を助けてられないんだよ。みんなそれを分かってるけど、どうもできないっていうのも悲しい。/

困った時、自分じゃどうしようもない時に側に来てくれる人はどれくらいいるだろう。見つめ返してくれる人は。そっと手を添えてくれる人は。涙を流してくれる人は?

感染が可視化されているってことの嫌な気持ちが描かれていて、他者から触れたくない、触れてはいけないものと認定されることの悲しさがあった。

感染者が可視化される社会、そんな中で主人公は運命の人が可視化されていた。厄介な存在を見えるようにする社会がある一方で、主人公には本当に大事なものが見えるようになっていた。失くしてはいけない感覚だと思った。

大事じゃないもの、大事にしなくていいものを見分けるために感染者を可視化していた社会と対照的に、主人公には大事にしないといけないもの、大事にするべきものが見えるようになっていたのかなって思う。

社会の人々は感染しないように、感染者を避けるようにとだけ思いながら生きているからそのことだけにしか気付けない。
主人公は、伝説を信じて救いを求めていたからそのことも見えていた。何を思って生きているかで世界で見えるものが変わってくる。きっと、見たいものを見ることができる。
時代の出来事に気を取られて見逃してしまうことの危うさも感じた。その一方で、自分の視点を守り続けることの健気さ、凄さ、それが「必ず何かへ繋がりますように」という願いを抱かせてくれて、優しい気持ちにさせてくれた。/

完全な健康的肉体を手に入れた人々にとって、病気の人は病人ではなくただの人間として扱うようになるのかな。病人は忌避する存在ではなく、順番待ちの人でしかなくなる。完全な健康が実現した世界で、病人は「まだ健康な肉体を手に入れてないだけなんだろう?今から健康を手に入れに行くんだろう?まだ行ってないだけなんだろう?」ってくらいにしか思わない。
健康か、まだ健康じゃないけどもうすぐしたら、っていう2択しかなくて、否定的なことが見えてない。そういう形で人々が見なくなっていくもの、見失っていくもの、気付けなくなっていくものがあるのかなって思った。きっとそのまま忘れて、忘れたことにも気付かないで世界は進んで行くんだろうから、考えても仕方がないことなのかな。

元の自分を守ろうとする人もきっといるし、病を受け入れてそのまま亡くなることを選ぶ人もきっといる。病を克服して長生きすればするほど、そのぶん先に亡くなった大切な人との再会が遠のく。
当たり前のように、全員が同じ選択をして同じ形になるとは限らない。新しいものを選ばず、終わりを選ぶ人だっている。それなのにみんな新しいものを選び、新しいこれからのことしか見ていない人たちばかりのように見えたのはこの映画の中だけではなく現実でもそうだろうなって思った。/

被爆したら、もう引き返せない。もう元には戻らない。今まで普通にしていたことができなくなる。自分じゃなくなる。迷惑な存在になる。
それでも自分を立て直す。自分であり続けようとする。その祝福として、自分にとって必要な人が周りに集まったのかな。自分に必要な人に気が付けたのかな。

どこからともなく湧いてくるその生きる意志、生きる決意、立ち上がるための力、そういうものはきっと世界がその人を必要としてるからその人を動かしたのかもしれない。
重くなっていた体が、起き上がるその力が意味するものが、ずっと世界には自分が必要だったから世界が背中を押したのだと、そうであっても良いなって思う。

その日まで生きていなければならなかったこと。それが誰かを救うこと。誰かの世界を救うこと。
自分の存在が必要なのは自分の世界ではなかったかもしれない。でもきっと、誰かの世界にとって自分が必要とされている。
どんなことがあっても今もまだ自分が生きているのは、それが理由だといいなって思う。

自分の人生を諦めてもなお生きているのは、誰かの人生に自分が必要だからで、何か特別なものに命が引き止められているのかなって。知らぬ間に、どこかの誰かの人生に、命を守られているのかなって。/

無数の写真が貼られた空間。あれは人の心がある場所だったのかな。心と呼ばれる場所だったのかなって思う。
その人が今まで出会ったすべての人が居る場所。すべての人の居場所が保管されて居る場所。その人が、その人の中にあるもので失くしてはいけないもの。
それを守ることは、そこに居るすべての人たちを守ること、今まで出会った人たちの存在を守ること。
それは思い出せること、思い出して必要な人のもとへ連れていくこと。思い出して、存在させること。存在できる場所へ連れて行くこと。

自分を失うってことは、自分の中のすべての人も失うってこと。一人ぶんの喪失じゃない、一人ぶんの喪失じゃ済まない。全部、無かったことになんてしてはいけない。

だけどどうして心の中で、目が見えていなかったんだろう。たくさんの人の存在が、写真としてそこにある大切な場所なのに、そこではなぜ目が見えないんだろう。せっかくそこに思い出があるのに、なぜ見えないんだろう。
だから、自分の中で自分を見失ってしまうのかな。自分の居場所が分からなくなってしまうのかな。心の中は、見るものじゃなく感じるものだからなのかな。

心の中でみんなが盲目になるなかで、主人公には心の中が見えていたけど心の中が見えていたんじゃなく、心の中が見えるくらい鮮明に感じ取れていたってことなのかな。

感覚世界を自在に歩き回れる主人公だったから、他者の心を渡り歩けたのかな。
この場所で、ここではない場所へ助けに行く。ここに居る君が、今いる場所へ助けに行く。君の魂が今いる場所へ。心の中へ。/

手を握るってのはお互いの存在を確かめ合うこと。今ここに私たちはいるってこと。手を握ってる間はこの世界に繋ぎ止めていられるってこと。互いを認識し合っている間は、二人ともどこにも行ったりしない。

手を繋ぐ、人と人とを繋ぐ。
手を握る、抱きしめる。
温もりを感じる。
人と人との間に、目に見えない分断がある。それを繋ぎ止めようとしたのかな。人と人とを触れ合わせようとしたのかな。
神は、もしくは神のような存在はたった一人を救いはしないのかもしれない。たくさんの人を同時に救うのかもしれない。同時にたくさんの人、しか救わないのかもしれない。
だから人と人とが繋がって、たくさんの人たちで一つの存在として繋がり合っている必要があるのかもしれない。神が気付けるくらい、大きな輪を作り広げて待っていないといけないのかもしれない。
そのために人は、他者を大切に想えるのかなって思う。

温もりとはその人の体温だけでなく、その人のこれまでの記憶に触れること。見てきたもの、聴いてきたもの、発してきたもの、触れてきたもの、その蓄積が体温なのかなって。
人が冷たくなっていくのは、その人の中にある思い出がすべて消えていってしまうからなのかな。心の中に保管されている記憶が無くなっていって、空っぽになるから体も温もりを失うのかなと思った。
体温の粒子ひとつひとつに思い出がひとつ宿っていて、全身を巡っているのかなって。

手を繋ぐ、触れ合う、抱きしめ合う、それは体の温もりで互いに体温の一部を分け合って、相手の一部になるってことなのかな。それを許すことが、あなたに出会えて良かった、私に出会ってくれてありがとう、そういう表現なのかなって思った。
握る手を通してお互いにそう伝え合っているのかなって思う。そういうものが伝わっているんだと思う。/

自分が信じたものが自分のためのものではないかもしれない。自分に関わった誰かのためのものだったかもしれない。それでも自分が信じたから、伝わるべき人にちゃんと届いたのかもしれない。

自分が信じた救いが、自分が信じた人たちのもとへ届きますように。/