B姐さん

ロング・グッドバイのB姐さんのネタバレレビュー・内容・結末

ロング・グッドバイ(1973年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

早川書房から出版されている清水俊二訳「長いお別れ」を聖書のように読んでいたものとしては、昔観た時「なんだこれ?ふざけるんじゃねえ!」と原作レイプに対しての怒りはそりゃもうすごかった(「エンディング全然ちゃうやんか」)。C・チャップリンの批評は辛辣なもので、その酷評をなにかの本で読んだ時はキートン派のわたしでも完全に尻馬にのっかった。
そんなわたしがいつからかこの映画の虜になったのは、アルトマンの他の映画を観始めて完全にノックアウトされたからだ。

この映画のユニークなところは(散々言われているが)自由奔放な改変だ。物語自体も解体、というより脱構築していること。物語より枝葉で、時間より時間の「流れ」に比重を置いている。だからこそ向いのアパートに半裸のヒッピーがたむろし、ネクタイは弛み、スーツはヨレヨレになる。そして猫が消えるのだ。

探偵物としての「推理」や「アクション」より(アルトマン言うところの)「名誉なき世界」に「名誉ある男」が現れる「シチュエーション」。そして資本主義の進んだこんな時代(70年代)に古臭い40年代の「誇り」を持った男はどう映るのか(その逆も)、といったこの作家特有のシニックな視点がある。
だから(ハードボイルド特有の)「センチメンタリズム」みたいな情感には興味を示さない。抒情的になりそうなシーンは性急にカット点(編集ポイント)を早めている気がするくらいだ。友人テリー・レノックスとの関係性などはほとんど描かれない。そういったわけでアルトマンは原作で出てきた有名なシーン、台詞を容赦なくバッサリと切る。
「さよならを言うことはわずかのあいだ死ぬことだ」も「警官にさよならを言う方法はまだ見つかっていない」も言わない。もちろん「ギムレットには早すぎる」も。

あっけにとられたのは劇伴だ。ノワール映画、ハードボイルド映画はテーマ曲がバーみたいなところで歌われ、その変奏曲が劇伴として流れるというのが定番だが、本作は違う。
なんと初っ端、(あの)ジョン・ウィリアムス自身(!)がテーマ曲を歌い、同じクレジット中に別の女性シンガーが歌い、ラジオとショッピングセンターでインストルメンタル流れるという人を食ったオープニング。そしてそのスコアが主人公マーロウ行きつけのバー、葬送曲にまで使われる。
しかも曲名はまんまの「ロング・グッドバイ」である。

とまあアルトマネスク全開の映画だが一番興味深く面白いと思うのは、この映画の脚本を担当したのがホークス組のリーブラケット女史(『リオ・ブラボー』『ハタリ!』あと『SW 帝国の逆襲』も!)ということ。彼女はフォークナーといっしょに『三つ数えろ』を書いている。
このチームのラジカルでアバンギャルドなへそ曲がりっぷりは、原作ファンのわたしが強引に「レイプ」されても快感をおぼえてしまうぐらいの中毒的な魅力がある。そういうものを前にしたら、ただひれ伏すしかないのだ。

※今回は「ヴィルモス・ジグモント追悼」ということで。
http://www.sankei.com/world/news/160104/wor1601040017-n1.html
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