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幽霊VS宇宙人2
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『幽霊VS宇宙人2』に投稿された感想・評価

本作は、清水崇監督による「怪猫 轢き出し地獄」と、豊島圭介監督による「食卓の宇宙人」を収録した短編オムニバス作品です。もともとは『幽霊VS宇宙人』という企画の一部として作られたものであり、清水崇が幽霊や怪異の領域を、豊島圭介が宇宙人やSFの領域を担当する競作形式に近い作りになっています。

ただし、タイトルから想像されるような、幽霊と宇宙人が正面から激突する映画ではありません。むしろ、幽霊映画や宇宙人映画の記号を借りながら、それを恐怖や壮大なSFへ向かわせるのではなく、かなり脱力した笑いへとずらしていく作品です。物語の出発点には怪談やSFの定型がありますが、その扱い方は非常に軽く、意図的にチープで、どこか自主映画的な自由さを残しています。

そのため、本作を一般的なホラー映画として観ると、かなり肩透かしを受けるでしょう。清水崇の名前から『呪怨』的な湿った恐怖を期待しても、そうした緊張感はほとんどありません。また、コメディとしても分かりやすく笑いを積み上げていくタイプではなく、奇妙な設定や手作り感のある画面を眺めながら、そのズレた感触を受け取る作品です。怖さも笑いも、はっきりした形で観る側に届けるというより、ジャンルそのものを少し横に滑らせているような印象を受けます。

しかし、その曖昧さこそが本作の特徴でもあります。清水崇と豊島圭介という、のちにジャンル映画やテレビドラマの領域で存在感を示していく作り手たちが、大きな商業映画では通りにくい発想を、短編という形式の中でかなり自由に試しているのです。完成度の高い作品というよりは、作家性の端がむき出しになった実験場のような映画と言えるでしょう。

それゆえに、本作の評価はかなり分かれると思います。きちんと怖い映画、あるいはきちんと笑える映画を求めると、どうしても物足りなさが残ります。一方で、低予算の短編映画が持つ粗さや、監督たちがジャンルの枠を少し崩して遊んでいる感覚を面白がれるなら、妙な味わいを見出せるはずです。整った映画ではありませんが、整っていないからこそ残る歪な魅力があります。


※以下、ネタバレを含みます。未見の方はご注意ください。




























本作を構成する二本の短編は、幽霊と宇宙人という異なるジャンルの記号を扱っていますが、その使い方はかなり変則的です。清水崇の「怪猫 轢き出し地獄」は怪談の形を借りたナンセンスな化け猫譚であり、豊島圭介の「食卓の宇宙人」は侵略SFというより、家族の本音を暴き出すシチュエーション・コメディです。どちらも、ジャンルの中心に向かうのではなく、ジャンルの外側へはみ出していくことで成立しています。

「怪猫 轢き出し地獄」は、青年・秀一が恋人とのドライブ中に猫を轢き逃げしてしまうところから始まります。やがて、轢かれた猫は化け猫となって秀一の部屋に現れますが、その出現場所が机の引き出しである時点で、この作品が正統派の怪談を目指していないことは明らかです。猫を殺した罪、祟り、恋人の魂を奪われる展開、あの世への旅という骨組みだけを見れば、古典的な因果応報の怪談として読めますが、実際の語り口は徹底して脱力的です。

特に印象的なのは、化け猫の造形と設定です。机の引き出しから現れ、オーバーオール姿で、ポケットから小道具を取り出す。この構図には、国民的アニメを不気味に歪ませたようなパロディ性があります。本来なら夢のあるファンタジーとして機能するはずの道具立てが、ここでは化け猫の呪いや黄泉の世界と結びつけられ、妙に居心地の悪い笑いへと変換されているのです。

この短編で面白いのは、清水崇が得意とする日常空間の異界化が、恐怖ではなく笑いの方向へ転用されている点です。『呪怨』では、家の中の階段、押し入れ、部屋の隅といった場所が、逃げ場のない恐怖の発生源になっていました。それが本作では、机の引き出しが怪異や死後の世界とつながる入口として機能しています。日常の中に異物が入り込むという発想自体は清水作品らしいものですが、その結果として生まれるのは恐怖ではなく、かなり奇妙な脱力感です。

もっとも、このズレは魅力であると同時に弱点にもなっています。怪談としては緊張感が薄く、コメディとしても切れ味が鋭いわけではないからです。化け猫のキャラクターや三途の川の騒動も、狙ったチープさとして受け取れる部分はありますが、観る側によっては単に粗く、間延びして見えるでしょう。実際、本作に対する否定的な反応が「怖くない」「笑えない」「テンポが悪い」という点に集まるのも、無理のないことと言えます。

一方で、「食卓の宇宙人」は、清水パートよりも構造が明快です。平和に見える安藤家の人々が次々と宇宙人に憑依され、これまで隠してきた秘密や本音を自ら暴露し始めることで、家庭内の空気が崩壊していきます。ここでの宇宙人は、地球を侵略する存在ではありません。巨大な宇宙船も、派手な特殊効果も、世界規模の危機もなく、ただ家族の沈黙を破壊するための装置として機能しています。

この設定には、本作の中でも比較的はっきりした面白さがあります。宇宙人という外部からの異物を、家庭内の会話へと閉じ込めることで、SFのスケールが食卓の気まずさへと縮小されているからです。世界を揺るがす侵略ではなく、家族の中に蓄積された嘘や不満を露出させること。それがこの短編における宇宙人の役割です。

この構造によって、「食卓の宇宙人」は単なるSFギャグではなく、家族という共同体の脆さを扱う作品にもなっています。家族は近い存在であるはずなのに、実際には言えないことや隠していること、見て見ぬふりをしていることの上に成り立っています。宇宙人の憑依によってその建前が強制的に剥がされることで、本作は「宇宙人が怖い映画」から、「本音しか言えなくなった家族が怖い映画」へと変貌を遂げていくのです。

ただし、こちらも物語として深く掘り下げられているわけではありません。家族の崩壊や再構築を本格的に描くというより、設定の面白さを不条理コメディとして押し切る作品です。そのため、人物の感情や関係性に踏み込んだドラマを期待すると物足りなさを感じるかもしれません。発想は面白いのですが、それをどこまで映画として膨らませられているかという点では、やはり短編的な軽さが残ります。

本作全体に共通しているのは、幽霊も宇宙人も、もはやジャンルの主役として扱われていないことです。幽霊は観客を恐怖させる存在ではなく、日常空間を奇妙に歪ませる存在として。宇宙人も侵略者ではなく、家庭内の隠し事を暴く触媒として描かれています。つまり本作は、幽霊映画や宇宙人映画そのものではなく、それらの映画らしさを借りて、ジャンルの型を崩していく作品なのです。

この姿勢は、制作背景ともよくつながっています。本作には、商業映画として整った完成度を目指すというより、大きな作品では通りにくい発想を、短編という形式の中で試しているような身軽さがあります。その身軽さは本作の魅力ですが、同時に作品としての精度の甘さにもつながっています。チープさや粗さが味になっている場面もあれば、狙いよりも雑さが前に出てしまう場面もあるからです。しかし、そうした不安定さを抱えたまま、発想の面白さと映画としての弱さが同じ画面の中に並んでいるところに、本作らしさがあると思います。

本作の良い点は、発想の自由さです。化け猫を机の引き出しから出す。宇宙人を食卓に閉じ込める。どちらも、幽霊や宇宙人という大きな題材を、極端に小さな日常空間へ押し込めています。そのスケールの狂い方には、独自の面白さがあります。また、清水崇の怪異演出や豊島圭介の状況設定が、まだ洗練されきる前の形で見える点も、監督たちの初期衝動を知るうえでは興味深い部分です。

一方で、弱点もはっきりしています。ホラーとしては怖くなく、コメディとしても爆発力があるわけではありません。テンポは緩く、ギャグの打率も安定していないため、低予算の手作り感を楽しめるかどうかで印象は大きく変わります。作品側がそのチープさを完全に制御できているわけではないため、場面によっては狙いよりも粗さの方が前に出てしまいます。

それでも、本作を単純な失敗作として片づけるのは少し違う気がします。完成度の高さでは測りにくい作品ですが、ジャンルの文法を別の方向へずらす試みとしては、一定の面白さがあります。Jホラー的な空間の不穏さをギャグへ変換する清水パートと、宇宙人SFを家庭内の本音暴露劇へ縮小する豊島パート。どちらも十分に洗練されているとは言えないものの、作り手の視点や発想の癖はよく表れています。

総じて本作は、完成度の高いホラーコメディではありません。むしろ、完成度という物差しを当てると、怖さの弱さ、笑いの不安定さ、テンポの緩さがかなり目立つ作品です。しかしその一方で、幽霊と宇宙人というジャンルの記号を、引き出しと食卓という小さな日常へ押し込める発想には、独特の味があります。よくできた映画というより、ジャンル映画の端で変な音を立てている短編集です。その音をノイズと感じるか、愛嬌と感じるかによって、評価は大きく変わると思います。
ほとんど透明で一瞬しか登場しないんだよなー、この緑の人…