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石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~

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石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~の作品紹介

石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~のあらすじ

世界最高齢の現役プロデューサーとして、今なお新作を生み出し続けている石井ふく子。その創作の原点や名作の秘話、そして現役として走り続けている「いま」について、2026年の言葉で語ったロングインタビューに、過去の貴重な映像も交え、石井ふく子の神髄に迫る。

石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~の監督

佐井大紀

石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~の出演者

石井ふく子

原題
製作年
2026年
製作国・地域
日本
ジャンル
ドキュメンタリー

『石井ふく子 100 歳~心のドラマの軌跡~』に投稿された感想・評価

3.8
知り合いが関わっていることがきっかけで見たのだが、期待以上に興味深かった。

石井ふく子さんが、まず御年100歳を迎えられて、まだ現役でやっていらっしゃって、しっかりしたご様子なのに驚嘆。

そして、まだまだ普通に女性が活躍することが限定されていた時代に、テレビの裏方の第一線で活躍されてきた方の一生を追体験。(そこそこに、プロデュサーとなられるまでは波瀾万丈!)そして、それと同時に出てくるドラマやインタビュー映像に出てきたり、語られたりする人も懐しい。

今回これを見て、いわゆるホームドラマということに石井さんがどういう想いを込めていたのか。単に、お茶の間舞台のドラマということではなく、そこに生きる女性の生き方というものを描きたいという気持ちが強かったのだなと知った。

実は、今回、私自身はあまり石井さんのドラマは見ていなかったんだなということも、再確認。(渡鬼も見ていなかったしね)
改めて、石井さんの気持ちを知ってみるとまだ違う面が見えるのかも。


ドキュメンタリー自体は、現在のインタビューだけでなく、過去のインタビューをうまく織り交ぜた構成で、とても見やすかった。音楽が、全体の構成にメリハリをつけていて印象的。
興味深く観させてもらった、

石井ふく子の母が花柳界の人で実父には会おうと思えば会える機会もあったそうだが本人は断り生涯会うことはなかったらしい、その後母が新劇の伊志井寛と結婚する
学生時代に帰ってみると二人は引っ越していてもぬけの殻だったなんてことも、戦後行くところもなく家族でいろんな所へ移り住んでいたあるときに長谷川一夫にふらっと出会い父と知り合いだったため当時は就職先がなかったのでふく子を新東宝の俳優部に紹介してもらい2年俳優として活動するが辞めその後ラジオ局で働く(新東宝では市川崑の三百六十五夜にダンサーとして出演して市川崑に絞られたそう、他にも同じ市川の人間模様や女医の診察室という作品にもクレジットされている)
同僚が当時としては左遷という扱いであったテレビ局に移動になり、石井をそちらに推薦してくれしばらくはラジオ局と掛け持ちで働いていた。当時テレビが新しいメディアだったために女性のプロデューサーなど数としても新しい人材が求められていたということもあるかもしれない

父と母が森光子など様々な役者と知り合いだったためある意味仕事がやりやすかった部分もあるのだろう
ふく子の母は森光子にうちの長女はみっちゃんでふく子は次女と言っていたそうだ

石井が橋田壽賀子に関して一つのメッセージを3度セリフで繰り返す、しつこいと言っていたのが印象深かった
橋田壽賀子はテレビ局の脚本家になる以前1949年から松竹の脚本部にいて、当時の松竹の脚本ではセリフはドラマとして非現実をしゃべらせることが必要とされていたが、石井ふく子にこんなことあなたはしゃべる?と聞かれ(石井はわざと下手に橋田のセリフを読んで聞かせたそう)、そのとき視聴者の家のお隣で話しているような話し方をセリフにするようになったとも
石井が最も記憶に残っているのは橋田の脚本の愛と死を見つめてだそうだ、1964年に橋田が映画の脚本から初めてテレビドラマの脚本を書いた年と同じ年の作品

橋田壽賀子が私は石井ふく子に出会わなければ直木賞でもなんでも取れたのに、でもテレビの脚本を書いたことで小説なんかよりも多くのお茶の間の人へ自身の物語を伝えることができたと語っていたのも印象的だった