星降る夜にあの場所で

ゴッドファーザーの星降る夜にあの場所でのネタバレレビュー・内容・結末

ゴッドファーザー(1972年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

これから書く内容はレビューではなく、今年のトライベッカ映画祭2017に便乗した単なる私の思い出話(私が覚えている最も古い記憶でもある)です。
「ゴッドファーザー(以下GFと表記)」を鑑賞する上で全くをもって参考にはなりませんので、くれぐれもお気をつけ下さい。

残り数時間で7月15日。
45年前の7月15日、GFが本邦初公開となる。
その日から数日後、私は動物園に連れて行ってくれるという祖父と共に40分電車に揺られながら上野へ向かった。
祖母が手作り弁当と蜂蜜入りの麦茶を水筒に入れて持たせてくれた。
記念すべき私の動物園デビュー☆
もうこれ以上ないほどのアゲアゲテンションであったことは言うまでもない。
当然、このあと私に襲い掛かる悪夢のような出来事など知る由もなかった。
45年経った今でも、この日の事はハッキリと覚えている…

初めて目にする動物たち。
この夢のような数時間、驚きと感動と嬉しさのあまり興奮しすぎて鼻血をだした。
記憶にはないのだが、ここに住みたいとまで言っていたらしい。
祖父にまた連れてきて貰う確約をとりつけ、名残惜しくも私たちはドリームランドをあとにした。

「楽しかったか?」
「うん!」
「そうか、良かったな」
「(*´ω`*)」
「でな、今度はな、じいちゃんの番や」
「?」
「じいちゃんな、観たい映画があるんや」
「映画?」
「こ~んなごっついテレビみたいなもんや」
小学校にも上がっていない私には初耳ワードであったが、祖父からのやっつけ説明で何となくどんなものかは理解した。

上野駅から何駅か電車にゆられ(有楽町で下車)、少し歩いて映画館(今は無きテアトル東京)に到着。
祖父はポップコーン(初実食)とオレンジジュースを買ってくれた。
手始めに、ブザーと共に大きな部屋が暗くなることに怯える私。
映画が始まった。
私にとっての悪夢の、はじまりはじまり…
まず、動物園帰りの私にはタイムリー過ぎるウォルツのベットの馬の首。
チョロチョロっとちびる。
次に、絞殺されるおどろおどろしい形相のルカ。
チョロチョロチョロっとちびる。
そして、マイケルに拳銃で眉間を貫かれるマクラスキーとソロッツォ。
ここではチョロを越えてジョボっといった気がする。
ついに…
サンティノ、料金所でハチの巣に。
たまらず、放尿っ~(+o+)、そして途中退室。
「びしょびしょやないか…こりゃあかん…」
やっとこさ、退館解放(*´Д`)、もぎりのおばさんと掃除のおじさん失笑。
急場しのぎにタオルを貸してくれました。

デパートにて、全着替え(下半身だけでなく、Tシャツも汗でビショビショ、お小水はズック(当時の子供が履いていたちんけなスニーカーのようなもの)にまで達していた模様)。
子供服売り場の試着室?かどこかでフルティンにされる。
モノは忘れてしまったが、罪滅ぼしからかオモチャも買ってもらった気がする。

帰宅。
応接間で両親、妹、祖母、叔父さん夫婦がテレビを観ていた(隣りが母方の実家だったので、頻繁に両家が行き来していた)。
母「あんたその格好どうしたの?おじぃんつぁん(これは高松の方言なのかは不明だが、母は祖父をそう呼んでいた。因みに祖母はおばんつぁん)に買ってもらったの?一回洗ってから着ないと汚いでしょ!(誰が試着しているか分からないからという理由で、洋服類は全て一度洗濯してから着せられていた)」
祖母、「よう似おうとる。よかったなぁ~」
私はリアクションに困り、明治生まれにしては大柄で180センチ近くあった祖父を見上げると、立ち尽くしたまま今にも顎から汗が落ちようとしていた。
祖父は私の視線を感じているくせに目を合わせようとしない。大きな体が小刻みに震えているようにも感じた。
母は祖父にお礼を言って「ほら、洗うからすぐ脱ぎなさい」
私はその場で脱ぎ始める。
母「ん?あんたパンツまで買ってもらったの?そう言えば靴下も…」
数分後、幼児劇場軟禁事件が発覚!
母と祖母の逆鱗に触れ、容疑者はこっぴどく取り調べを受けていたが一瞬の隙をみて華麗なる脱獄に成功。
父と叔父さんは大爆笑、お嫁さんは苦笑い。
母「あんたもボッとしてないでお風呂場に直行しなさ~い!」
それがきっかけで私は映画館恐怖症となり、二年後に公開される「ベンジー」まで、どれだけ祖父がお出かけに誘ってきても頑なに拒否し続けたのであった。

そんなトラウマ映画を愛して何年になるだろう。
数え切れないほど鑑賞してきたGF。
今夜もいつものように、前記した4シーンで思い出し笑いをすることだろう☆彡
♡I'll keep loving "The Godfather" forever.♡


                                        2017/07/15 記

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GFパート3のレーザーディスク(のちにDVD、Blu-rayへと移行)が日本で発売されて以来、月1回GFシリーズ3作品を必ず鑑賞しています。
もう完全に取りつかれてますね(笑)

ここ何年間かで思う、あの手板のロゴ。
普通に考えれば、闇世界からアメリカを自由自在に操るヴィトーもしくはマイケルの手をモチーフにしているのでしょうが、何度も観ているとそのヴィトーとマイケルが【神の手】によって操られているように感じてきます。

両親と兄をドン・チッチオに殺された時からアンドリーニ家(コルレオーネ)の復讐の連鎖が始まりまり4代にわたる悲劇の物語となっていきます。

この物語は常にオメルタと共に進行していくわけです。

このオメルタという暗黙の掟を神は認めていないわけで、それがアポロニア、メアリーといった抗争の部外者にまで犠牲が及んでしまうことに繋がってしまいます。

人を殺める行為が日常化しているマフィアの世界へのやむを得ない神の戒めなのでしょうか…
過酷な試練を与えられ続けてしまうことになるのです。

パート3での行動からもわかるようにマイケルは、この終わらない負の連鎖に気づいていました。
もっと言えばヴィトーもです。

しかし、この連鎖を断ち切れば当然コルレオーネ・ファミリーは壊滅してしまいます。

その重圧に耐えられなくなったマイケルはヴィンセントにそれを委ねます。
この行為自体が罪だと知りながら…

結局、代々コルレオーネ・ファミリーが闘ってきた相手は、他のマフィア・ファミリーではなく神だったのかもしれません。

そう考えると全ての辻褄が合ってしまうのです…

人間が神に敵うわけがないことを承知で闘い続けなくてはいけない境遇に置かれた、ヴィトー・アンドリーニとマイケル・コルレオーネの哀れな人生が不憫でなりません。

『The Godfather』シリーズは観れば観るほど宗教的な観念が色濃く反映されていると感じてしまう作品です。

そんな-Don-3人(描かれなかったヴィンセント・マンシーニの行く末も含めて)のやるせない人生に私は魅了され続けているのかもしれません。