このレビューはネタバレを含みます
・楊 顕恵(ヤン・シェンホイ)の小説『さらば來辺溝(ジアビェンゴウ)』と生存者の証言や資料に基づいて。
メモ:日本では、「來」は「来」の旧字体の扱い。
〔ノート〕
1956年、中国共産党「百花斉放・百家争鳴」を掲げる(言論の自由の保証、党への批判を歓迎)。
しかし翌1957年、共産党 政策を急転換。;毛沢東の陰謀とも陽謀ともいわれる「反右派闘争」(党への批判を行った人々を「右派」と名指しし、「労働改造」という名の強制収容所に送り込む)。
1960年10月 中国西部 甘粛(カンスー)省にある右派の収容所、來辺溝(ジアビェンゴウ) 労働教育農場の高台(ガオタイ)県 明水(ミンシュイ)分場。
麦こがし 草の実、腹が膨れて死ぬぞ。
国の社会主義建設 少しの穀物の粥 ねずみ
公安局出身
'プロレタリア独裁'は意味が狭すぎる、'全民独裁'。
1938年の革命 蘭州(ランチョウ) 地主階級
土地改革 土饅頭(どまんじゅう)
木札 反動思想 ゴビ砂漠 [終]