
『戦場のボヘミアン カメラマン ⽯川⽂洋』が配信されているサービスは見つかりませんでした。
⽂洋が3歳になった1941年に太平洋戦争が始まり、⼀家は沖縄から本⼟へ移住。1964年、⽂洋は27ドルのみ持って⽇本を出て、⾹港を経由し、ベトナムのサイゴンに到着した。27歳になる前⽇、⽂洋が撮った銃撃された⽶軍少佐のネガをAP通信が買いあげ世界に配信。この瞬間に“国際報道カメラマン⽯川⽂洋”が誕⽣した。 1969年に⼀時帰国すると、ベトナムでの⽶軍プレスカードが認められ、どのマスコミも取材ができなかった沖縄⽶軍基地の取材が許され、後⽅基地としてベトナム戦争に参加する沖縄の姿を浮き彫りにした。 1979年のポルポト政権崩壊後、⽯川⽂洋は取材が許され、カンボジアの⾸都プノンペンに⼊り、最新のカンボジアの実情を⼀冊の本(「⼤虐殺」)にまとめた。「カンボジアで、同じ⺠族同⼠が殺すわけがない。虐殺はなかった」と批判に遭った⽂洋だが、「もし⼤虐殺がなかったことが明らかにされた場合、私は現場に⾏きながら事実を⾒誤った責任を取って今後、報道にたずさわる仕事をやめる覚悟です」とその内容に絶対の⾃信を⾒せた。 戦場では不死⾝だった⽂洋だが、68歳の秋に⼼筋梗塞を起こし、⼼臓の筋⾁が壊死して第⼀種⾝体障碍者となった。しかし、病気を抱えている⼈が希望をもってくれればと考え、3500キロの⽇本縦断の旅を、約10カ⽉で完全踏破。辺野古での撮影は10年以上に及んでいる。 2025年、ベトナム戦争終結50年にあたり、ベトナム政府から式典への招待が届き、ホーチミンを再訪。そこで⽂洋が会ったのは…
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