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明日、君がいないのtsukikoのネタバレレビュー・内容・結末

明日、君がいない(2006年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

明日、君がいない 再鑑賞。

2:37に高校校内で誰かが自殺。その後、自死してもおかしくないような秘密や悩みを持つ6人に焦点をあてながら物語は進行する。最後に誰が自死したのかが明らかになるが、6人と関わりがあったものの誰の記憶にも残らない人物が当人だと明かされる。

SOSは積極的に発さないと誰にも届かない。ましてや10代は自分のことで精一杯。発したとしても誰にもどうすることができない場合は多々あるし、そもそも、死にたい人を無理に止めてもその後は? と思う。なぜなら死ぬのをやめても悩みは解消されず、止めた人が面倒を見れるわけでもない。

何度も自死を試みて何度目かでやり遂げた作家などの著名人が何人かいる。

死にたい人は死に安らぎを求めているし、もはやそれ以外にはないことだってある。

ちょうど再鑑賞した日は偶然にも10代で自死した友人の命日だった。本当に偶然。命日を忘れていたわけではなかったが忙殺される日々の中、当日はさらに忙しく、ようやく一息ついて映画を観てのんびりしていたら思い出した。それくらい忙しい日だった。

その人をAとする。Aは人間関係においてうまくいかないことがあり、結果的にかなりの回数の未遂をへて亡くなった。周りもAが死にたいことは知っていたし止めもした。でも止められなかった。葬儀では共通の友人が「親族はへとへとに疲れていた」と言っていた。この言葉は別の友人が自死した葬儀の場でも、その人の兄弟から聞いたことをふと思い出した。

死にたい人がいると周りはいつ自死されるかわからないから疲れ果てる。いつも見張らないといけないし、目を離した隙に…と気が気ではない。

だから、まだ想像力を働かせられる余裕がある希死念慮のある人は、そもそも周りには言わない。疲れさせないために。そして静かにやり遂げるために。

もしかしたらAは3%くらいは死にたくなかったのかなあと思う。でも、死にたくならなくなるために必要なものを手にすることができなかった。何十回の未遂はSOSだったと思うけど、それは欲しいものを手に入れたいがための叫びだった気もする。人は絶対に欲しいものが手に入らないと、生きるのが嫌になる。

さて、物語で自死したケリーは周りに悟らせないまま逝った。でも行動としては衝動的にも見える。ケリーは生きたかったのだろうか。それとも死にたかったのだろうか。

なおAは、側から見るといろんなものを持っている人だった。自分がAなら絶対に死なない。もったいないから。でもAにしてみれば、もったいないとは思えなかったから自死という手段を選んだ。

そう、結局苦しみなんか本人にしか分からない。でも、死にたい人がいたら心のどこかで、もしかしたら自分は今死んだらもったいなくない? と思ったら、あと少し生きてみるかという気にはなるかもしれない。その繰り返しで大人になって生きている私がいる。

最後に。自死は本人が悩み抜いて選んだ最期の手段。だからこそ、その選択を尊重したいと思う。否定はせず、ただ冷静に向き合うことが葬いであると思う。
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