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執炎のodyssのレビュー・感想・評価

執炎(1964年製作の映画)
4.2
【設定と映像の見事さ――蔵原惟繕監督の代表作】

浅丘ルリ子主演の純愛映画。愛し合う二人が戦争で引き裂かれる、というお話です。

この筋書きだけ見ると、特に製作が1964年であることも含めて考えれば「ありがち」で、下手をすると社会派的なテーマだけが売りの凡庸な作品になってしまいそうですが、本作が優れた映画になりえたのは、細かな設定と映像の力とに負うところが大きいと言えるでしょう。

まず、ヒロイン・きよの(浅丘ルリ子)は平家の落ち武者が住むひっそりとした部落に生まれ育ったという設定です。のちに愛し合う拓治(伊丹一三)と幼い時分に一度会っているのですが――この幼いときに会うシーンは率直に言って余計だと思いました――、ふたりが本格的に出会って惹かれあうのは大きくなった拓治が或る日道に迷って落ち武者部落に入り込んでしまったときです。そこではたまたま祭りが行われていて、祭りの習慣にしたがって彼は屋敷に招じ入れられてお茶をご馳走になる。この落ち武者部落の雰囲気がちょっと神秘的で、また祭りを媒介として二人が出会い、そして惹かれあっていくという過程が見事です。(ちょっと『モーヌの大将』を思わせる筋書きでしょうか。)

そしてやがて結ばれた二人は、山間の、近くに人家もないところで暮らすのです。二人だけのユートピアで愛の暮らしをする。おそらく(特に戦前戦中のことですから)現実にはありえないであろう設定が、この物語を糞リアリズムから救い、スクリーン上に美しい夢のような世界が出現することを可能にしています。

拓治は戦争に召集され、いったん重傷を負って帰され、下手をすると不具者になりかねなかったところを妻の必死の介護で回復する。しかし回復したのがアダで、彼はふたたび召集されてしまうのです。妻の愛がかえって夫を窮地に立たせてしまう。悲劇が深まる展開です。

映像も、この映画を語るときにははずせない要素です。モノクロながら、アングルやカメラの動きは秀逸と言うしかなく、主役のふたりの愛はむろんのこと、平家の落ち武者部落や、漁民たちの仕事など、さまざまな場面が印象的かつ当意即妙な映像で綴られていきます。映画の神様が降臨したのではないかと思えるほどの見事さ。蔵原惟繕監督の腕の冴えを賞賛すべきでありましょう。
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