演技力は実在するのだと驚いた。
ハスラー以前の私は、映画の出来を左右するのは監督の力量だと信じていた。
俳優の演技力はブランドみたいなもので、人々の思い込みか、あるとしてもフォルクスワーゲンに乗るかBMWに乗るかくらいの差だと思っていた。
しかし、実際は車が走るかどうかといったレベル、走らない車は即リコールで、つまり映画全体をおじゃんにしてしまう類の差だった。
この60年前の白黒映画から人間の迫力を除いたら、だいたいの観客が寝るだろう。
迫力はどこから来るのか。それは本気だってことだ。
私達は普段、本気で怒ったり悲しんだりしない。条件反射の怒号や打算混じりの涙は巷に溢れている。本気に見えて、突き詰めれば自己愛なんて場合もしばしば。
生まれ変わるなんていうのは論外で、本当に生まれ変わった奴を私は見たことがない。みんな嘘吐きなんだ。これが真実だ。
でも名優と呼ばれる人は、嘘のない演技ができる。少なくとも画面の中では、純度100%の喜怒哀楽を表現できる。芯から愛することも勝負することも生まれ変わることもできる。
そうやって真実から真実味を抽出して煮詰める力、これを演技力と呼ぶのだ。それが無ければ、映画はいつまで経っても虚構のままだ。
サラが黙って流した涙に戦慄するほどの感動を覚えながら、そんなことを考えた。