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ネイキッドのhamaのネタバレレビュー・内容・結末

ネイキッド(1993年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

12月中旬ごろ、コロナにかかって自宅療養している最中の深夜に観たので、映画が無事に(?)朝を迎えてくれて本当に良かったなぁ〜と思った記憶。

1993年公開。やっぱり世紀末ってこういう閉塞感みたいなものが蔓延していたのかな、みたいなことをまず思った。デヴィッド・シューリス演じるジョニーが捲し立てている言葉が、もっともらしいようでいてほとんど何の意味も為しておらずひたすら空転し続けている感じが、時代の行き詰まり感の反映としてかなり切迫したものに感じられた。特定の世代が共有した空気感の記録としても、混沌とした状態にこそ愛着を覚えてしまう破滅的な人間の描写としても普遍性を帯びた作品だと思う。ドストエフスキーの「悪霊」っぽい雰囲気があってなんか色々思い出した。

作品を通じて、映像的に面白いなと思うカット(警備員のおじさんとの議論が白熱して二人のシルエットだけが浮かび上がる場面とか、キッチンとリビングを落ち着きなくカメラが往復するシーンとか)が多くて、観てるだけでも関心が途切れずに最後まで観れた。この映画はとにかく放たれる言葉の数が膨大で、その全てが有機的に結びついているわけではなく、なんか散文詩読んでるみたいな気分になる。そうした意味で、とぼけたことを言いまくるジョニーに愛想が尽きたら負け、みたいなラインが明確にあって、彼をカッコよく映し続けるというのが成立の第一要件になっている映画だと思うが、そこをかなり力技で押し切っている感じが潔くて気に入った。

絶対お前アメリカン・サイコに出てたよな、みたいなアイツは破裂寸前の資本主義のメタファーとして読み取れる気がするし、朝になってサンドラがあらゆる人間の放埒っぷりをキンキンした声で正し、お風呂に入っているという状況は、なんだかんだ世界は混沌も破滅も迎えずに、秩序ある日常が続いていくみたいな状況を暗示しているんだろうな、と思った。ボロボロの状態であの家から去っていくジョニーについては、愛情や安定から離れることでしか生きられない人間って絶対いるはずで、その悲しみと逞しさみたいなものが同時に表現されていて良かった。「安心できる家を得ることで自己の生き方を失う」みたいな「赤い繭」的な状況ってあり得てしまうと思うので、そこにノーを突きつける終わり方はパンクを感じてめっちゃ好きだった。

単純にデヴィッド・シューリス全編通して異様にカッコいい。犬みたいで可愛いときもあるし、魅力的な俳優やなぁ。
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