SANKOU

砂の女のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

砂の女(1964年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

極限状態に置ける人間の本性をえぐり出した作品で、人間の尊厳とは何なのかを色々と考えさせられた。
ある教師をしている男が昆虫採集のために砂丘地帯を訪れるのだが、村人の勧めで彼は女が一人暮らしをする民家に一晩泊めてもらうことになる。
周りを砂の崖に囲まれた女の家は縄梯子がないと昇り降りが出来ず、しかも屋根からは頻りに砂が降ってくるような粗末な作りだった。
砂のせいで木が腐食するのだと話す女の言葉を男は一笑に付す。女は夜になると砂の侵食から家を守るために、村の男の手を借りて砂を掻き出す作業をする。
男は大変そうだなと女を手伝いながらも、あくまで他人事のように感じていた。
翌日男が家を出ようとすると縄梯子が外されていた。男はここで初めて、自分も砂かきをするための人員としてこの家に連れて来られたのだと気づく。
最初のうちこそ強気の態度に出ていた男だったが、食べ物も飲み水も村の男たち頼みであり、ついに飢えと乾きに耐えられなくなった男は村人に屈服してしまう。
自分は信頼のある教師なのだから、きっと自分を心配して誰かが助けに来てくれると男は望みを持ち続けるが、待てど暮らせど彼を助けに来る者は現れない。
彼は自分が思うほど信頼されていたわけではないのかもしれない。
女との共同生活が長引くに連れ、男は女に対して性欲を抑えられなくなっていく。
女も女で、また一人だけの寂しい生活に戻るのが嫌で、男に媚びるような態度を取る。
砂の壁が崩れる場面が何度も挿入されるが、それはそのまま男と女の人間性を表しているとも思った。
男は隙を見て脱出を試みるが、追手から逃れる途中で流砂に飲み込まれてしまう。
今まで逃げてきた相手に向かって助けを求める彼の姿はどこまでも惨めだ。
男は少しずつ牙を抜かれ飼い慣らされていく。
男がカラスを捕らえるための仕掛けをする時に、腹が減れば誰だって馬鹿になると女に話す場面があるが、その言葉はそっくり男にも当てはまる。
人は余裕がある生活をしているからこそ利口でいる事が出来る。
極限状態に置かれれば簡単に人は愚かな行為をしてしまうものだ。
男は村の男に、少しの時間でもいいから外に連れ出して欲しいと懇願する。
村人たちは今ここで女とセックスをすれば考えてやってもいいと返答する。
男は人としての尊厳など忘れてしまったかのように女を襲うが、完全に拒絶されてしまう。
男の姿は滑稽だが、村人も村人で他に娯楽がないからだろう、こんな下劣な見せ物を提示することでしか楽しみを見出だすことが出来ない様はとても醜悪だ。
教師であったことなどすっかり忘れてしまったかのような男だったが、ある日彼はカラスを仕掛けた罠に水が溜まっていることに気づく。
これは天然の溜水装置であることを見出だした男は、いつしかこの装置に夢中になっていく。
だから女が妊娠して、村人が外に彼女を連れ出す際に縄梯子をかけたままであったのにも関わらず、男は逃げもしなかった。
彼にとって今の一番の望みは溜水装置の発明を誰かに話すことで、その相手として村人が一番適しているのは間違いないので、今ここで逃げ出すのはもったいないという考えが生まれてしまったのだ。
皮肉にも彼は夢中になれるものを見つけたおかげで人としての尊厳は取り戻したのだが、代わりに元の社会との繋がりを完全に失ってしまった。
彼の失踪宣告が出されるラストの何とも言えない虚無感がいつまでも余韻として残った。
汗によって肌に張り付いた砂の質感が妙に生々しかったのと、女役の岸田今日子の媚びたような笑いや薄幸な感じが印象的な作品だった。
SANKOU

SANKOU