かーくんとしょー

パーフェクトブルーのかーくんとしょーのネタバレレビュー・内容・結末

パーフェクトブルー(1998年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

平成最後の映画鑑賞は、平成のアニメ史に残る今敏監督の名作を。原作は未読。
ホラー要素もあり夜に観るのは少し怖いが、不思議と今監督作品はどれも夜との親和性に富んでいる気がする。

ミスリードと劇中劇を効果的に絡めたサイコホラー。
だが、本作で最も興味深いのは視点の取り方だと個人的に考えている。

当初ストーカーを犯人と思わせておくミスリードでは、視点は限りなく主人公の未麻(未麻①)寄りであり、鑑賞者は未麻①と自分を重ね合わせながら謎解きをする。
しかし、未麻①が精神に少々異常をきたしたあたりから、〈視点人物〉としての未麻①の信用性は崩れ、鑑賞者も投げ出されてしまう。

そうして不意に投げ出された鑑賞者は、代わりの誰かに寄り添って作品を追いたくなり、未麻①に代わる信頼できそうな〈視点人物〉を探すのである。
田所さんか、いや、ルミさんがいいか……ゾワッ……!

本作では、まず未麻①とストーカーとの間にある種の信頼関係がある。「この人間(ストーカー)は悪のはずだ」というような〈了解〉と言っても良い。
未麻①とルミ①の間も信頼関係があるのは言うまでもなく、またルミ②とストーカーとの間も同様である。
つまり、ルミが二人いるという問題さえなければ完璧な共存が成り立っているため、事の真相がなかなか浮かび上がってこない仕組みだ。
そして、ストーカーの死と同時にルミ①がルミ②に完全に食われた時、今度は全ての謎が明るみに出ざるを得ないのである。

ただし、私はこの未麻①に強い疑いの目を向けている。それはある日のドラマ撮影で、帰りがけにルミが急に不在になり、田所に送られるシーンの違和感のせいだ。
この日以降、一時的にルミは未麻の担当を外れるのだが、そのトリガーとなる何らかの異変がルミに生じたはずである。
(この異変はある程度の大きさを伴うものだったはずだ。少なくとも、田所が口を噤んでしまうほどには。)

そんなルミの異変を未麻は無視しておきながら、結末で眼前に現れた未麻②を「ルミちゃんだよね」と躊躇なく断定する。
この断定の前には、「ルミは最近精神状態がおかしい」とか「ルミは未麻になりきるコスプレ癖がある」とか、何らかの予兆を読み取っていなければおかしくないだろうか。

すると、未麻は意図的に「ルミは悪の側ではない」と自己暗示をかけていたのではないかという仮説に辿り着く。
言い換えれば、ルミと信頼関係で結ばれた未麻を最後まで演じ続ける、未麻③と呼ぶべき女優・未麻にすり替わっていたのだ。

本作の最後の場面、バックミラー越しにメタ的に鑑賞者へ話しかける未麻は、女優としての成功も掴んで(いるように描かれて)おり、鑑賞者がそれまで信じていたあの弱気な未麻①とは全く別人。
そして彼女は言う。「ワタシは本物だよ」と。

以上は仮説に過ぎないのだが、つまり本作は入れ子に次ぐ入れ子を使い、視点人物をガシガシ動かしながら鑑賞者を欺き続けるため、真実が全く見えない作品だ。
元も子もない言い方をすれば、そうした気持ち悪さを生み出す〈手法〉に主眼が置かれているように思える。

その気持ち悪さは、例えるなら二次元と三次元の間に横たわる〈不気味の谷〉に似ている。
(そういえば、未麻②がフワフワ宙をと移動する様も、〈不気味の谷〉的な気持ち悪さがある。)
神の視点と、ある登場人物の視点の間にある〈谷〉に視点を置き去りにされる鑑賞者は、気持ち悪さを発生させる〈手法〉のいち歯車という形で、半ば強制的に作品に参加させられてしまう存在なのだ。

written by K.
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