シーシュンキー

めしのシーシュンキーのレビュー・感想・評価

めし(1951年製作の映画)
4.0
林芙美子記念館に行った後、たまたまネトフリで本作が観られる事を知り視聴。
女史が未完で終えた本作を川端康成という大作家が監修のもと、成瀬巳喜男がメガホンを取り撮影された戦後リアリティ作品。
原節子の独特な台詞回しやアンニュイさが漂流する表情の組み合わせは、戦時中に銃後の暮らしを過ごしたある意味で献身的な姿への決別を意味するかのような思惑が見て取れた。多様な生き方を持つことが許されるというか自然的にあって当たり前なのだということを、ヒューマニズムのエゴという時代を経て反省し見つけ出した女性たちが、とりわけ抑制の対象であった自由意志をこの手で掴んだ証なのかもしれない(些細なことではあるが、作中で言えば数日間の別居がそれにあたる)。
結局のところ疑問を持っていた大阪での暮らしに対して、やはりそれも幸せなのだと体験を通して知り得たのも多様な感受性のうちの一つと捉えよう。
また、川端康成の介入がどこまであったかは分からぬが、『雪國』における繭倉の火事などでも見出せるように、本作におけるさまざまな暗示は相当面白い。東京に来て頭上を走る列車をぼんやり見つめるワンカットから始まるシーンであったり、台風が来て落ち着かない心模様になったりと、それが少なからず夫の一時的な独り身生活にリンクする形で起きるのであるから、やはり本作は二度見るべきである。