や

めしのやのネタバレレビュー・内容・結末

めし(1951年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

多様な性の在り方が求められる今観ると、古くさい男と女の在り方だろう。ある種、当時のイデオロギーの刷り込みが行われている。出来過ぎた妻だ。顔を合せれば飯をくれと言う夫や生意気する義姪に対して苛立ちながらも感情を押し殺し、黙々と家事をこなす。そりゃ、逃げたくもなる。

ただ、クライマックスで再会する上原謙と原節子の顔を見たら、ハッとさせられる。そこには、最低限の会話しかない。再び大阪の生活に戻ろうとする妻の顔は、確かに幸福に満ちていた。私が「古くさい」と吐き捨てた男と女の在り方が美しく感じ、私の脳を柔らかくしてくれたシーンだ。そして最後の原節子の台詞に、この映画の全てが凝縮される。

「私のそばに夫がいる。目をつぶっている平凡なその横顔。生活の河に泳ぎ疲れて、漂って、しかもなお闘って泳ぎ続けている一人の男。その男のそばに寄り添って、その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが、そのことが私の本当の幸福なのかもしれない。幸福とは、女の幸福とは、そんなものではないのだろうか。」

原節子にこんな台詞を言われたら、「ああ、男と女、夫婦とはこういうものなのか」と納得してしまう。男と女について判り得ないことばかり、夫婦の幸せなんて知ったもんじゃない私だが、『めし』は背伸びすることなく男と女、夫婦について考えることのできる数少ない作品となった。
や