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戦争と母性のzhenli13のレビュー・感想・評価

戦争と母性(1933年製作の映画)
4.8
泣いた。母としての愛情の物語というより、ひとりの人間の問い直し・再生の物語としてみる。
原題Pilgrimage(巡礼の旅)は、我が息子の戦没慰霊ツアーという画一的なパトリオティズム裡に押し込められた老母らがシスターフッドめいたものを一瞬見せつつ、画一化できないそれぞれの思いが噴き出すことも、またこの旅によって問い直しや再生の機会(それはきっと、息子の戦没不明によりツアーに参加できず偶々ヘンリエッタ・クロスマンに痩せたゼラニウムの鉢を託した老母ですらも)を得たことも、示唆する。

戦争による不幸から、別の場所にある別の人々との出会いによって新たな関係を生む物語として、ルビッチの『私の殺した男』を思い出しながら観ていた。あの作品は帰還兵の主人公の男が出会ったある家族に幸せをもたらすことが、一生明かすことのできない悔いを背負い続ける覚悟ともなるという因果応報的な結末であった。その翌年に公開されたフォードの本作では、偏愛していた息子を戦死させた母ヘンリエッタ・クロスマンが赤の他人の恋人同士の仲を取り持つことで、拒絶し続けた息子の恋人とその忘れがたみを受け入れるという、あくまでハッピーエンドの体を為す。

巡礼の旅により息子を失った母親たちのさまざまな有りようを提示しつつも、彼女らが母という属性だけでなくその人そのものとしていきいきする瞬間を同時に提示する。船上のシークエンスだけでも類例を見ないすごい作品が一本撮れそうな面白さ。
頑固で粗暴なクロスマンに勝るとも劣らぬ豪快さをみせるルシル・ラ・ヴァーンは船上の晩餐でパイプをふかす。パリではクロスマンと共に「いつも朝食の獲物を撃っている」腕前を射的で奮い、賞品のシャンパンまで全て撃ってしまう無茶苦茶さで周囲を沸かせるシーンが楽しい。
カリカチュアライズされたフランス人とのやりとりでのタクシー代をめぐって市井の人々を巻き込む喧騒は、ルネ・クレールなど同時代の詩的レアリズム映画作品のオマージュとなっていてほほえましい。

クロスマンが問い直しと再生を得るための運命のようなきっかけがそこかしこに用意されている。息子役のノーマン・フォスターが塹壕の土の中に埋まってしまうシーン(本当に役者たちが埋まってしまうので閉所恐怖症気味な身としてはかなり緊張する)が、スリー・シダーズの家の雨戸も吹き飛ばすものすごい嵐にクロスマンが目を覚まして慄く超自然的なシーンに接続するところでも、つねに彼女が後悔と自己正当化の狭間にあり、その時点で再生の機会はそこかしこにあったのだと思わされる。遠くフランスで息子が戦死したときに、スリー・シダーズでは嵐が吹き荒れ、息子の恋人の子が生まれた。
その少年の手から渡される小さな花束を受け取るクロスマンの手だけが映されるショットでまず泣いた。その奥ゆかしさ。エモーションは爆速の機関車や恐ろしいばかりに吹き荒れる嵐のショットに仮託される。
また序盤でのジェソップ家やその周辺の自然主義絵画のような慎ましくも端正な風景、正面ショットで切り返されるノーマン・フォスターと恋人役のマリアン・ニクソン(なんとなく高峰秀子に似ている)、なんといってもジェソップ家の飼い犬スージー(この名前も因果となる)の闊達さをとらえたショットの数々が素晴らしい。フォスターの腕を輪くぐりし、彼の息子に飛びつく可愛らしさよ。
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