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カンフー・マスター!のzhenli13のレビュー・感想・評価

カンフー・マスター!(1987年製作の映画)
3.8
昔VHSで観て以来。5階のラスボスを倒し捕まったシルビアを取り戻しても「幸せは長く続かない」(また1階から無限ループ)という構成をも本作は同期させる。私はあなたを忘れていない、それを伝える手段はゴミとしてあっさり捨てられる(牯嶺街少年殺人事件のように)。少年はホモソーシャルの中で大人ぶる仕草のなかにその思い出を消失させる。横スクロールのリニアな方向性で一つの目的へ向かって突き進み、それが達成されれば幸せになるという単純構造で人生は成立しえないことを彼は知っただろうか。

いまの視点からするとさらにタブー度が増して見える。ジェーン・バーキンの思いつきにアニエス・ヴァルダが乗り我が息子を差し出すという、いまの時代に男性がやったら大真面目に糾弾される企画なのだけど女性だから許されたのか?そのことにも既にバイアスがかかっている。いま透明化という言葉で表される、女性の作る作品だから無視される、見逃されるということも。
ヴァルダはそういう女性に対するバイアスを逆手に取った作品を常に作り続けていた。一見軽くて可愛いらしくてプライベートで、正面アップでカメラを凝視させるショットも多用し、ドキュメンタリーとフィクションが綯い交ぜになる作品を撮る。ジェーン・バーキンとシャルロット・ゲンスブール二人ともこしょこしょしたウィスパーボイスでどことなく不安定さを湛えている。男性作家が扱えば彼女らはファム・ファタル役を振られることも多いが、ヴァルダによって不安定なまま、彼女たちの普段のようすに近いまま、映画の中に存在できる。

さらにプロットの核となるジェーン・バーキンとマチュー・ドゥミの関係は、社会通念上許されないこと(ここでは未成年との恋愛。いまでは成人によるグルーミング行為とされる)は、そのなかに含まれる感情やそれを表す行動も許されないのか、という非常に深刻で根源的な問いと並行するように、HIV/AIDSのニュースや啓発活動や、無理解のなかで本作でも男子の笑いのネタにもされているようすなどがインサートされる。また無人島でマチュー・ドゥミがHIV/AIDSについてのチラシを瓶に封入し、海に投げるシーンがある。本作でHIV/AIDSに対してのヴァルダの明確な意思表示があるわけではない。しかし明らかに何かを言おうとしている。それは夫であるジャック・ドゥミ自身の不安とも重なることを暗にヴァルダは示したのだろうか。
そしてジェーン・バーキンとマチュー・ドゥミの関係への問いが、当時HIV/AIDSに罹患する恐れが高いとされたゲイの人々の抵抗活動の理念にもオーバーラップするように思う。さらに言うと現在のCOVID-19に対するジョルジュ・アガンベンの主張(國分功一郎が紹介してたなかでしか知らないが)ともつながるかもしれない。

当時雑誌Oliveで本作が紹介され、当然アニエス.bスタイリングがフィーチャーされてた記憶がある。ジェーン・バーキンは勿論のこと、序盤のシャルロット・ゲンスブールのペールグレーのカーディガン・プレッションとオーバーサイズジャケットとショートパンツ、眉間にビンディを描いたスタイリングがめちゃくちゃすてき…(首と手脚の長さが桁違いであり真似すると大火事発生)シャルロットの友人役の子もリーゼントみたいなポンパドゥールの前髪がとても好い。

任天堂のファミコンソフト「スパルタンX」とほぼ同じ仕様のアーケードゲーム「カンフー・マスター」も超懐かしい。横スクロール格闘技ゲームの元祖なのかな。オープニングの路上リアルカンフー・マスター再現が可愛い。
マチュー・ドゥミが「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の説明をするシーンがあったが、当時「ソーサリー」シリーズというゲームブックがあり、マチュー・ドゥミが説明するのとほぼ似た構造だった。「ソーサリー」の挿絵がすごく好きだったのを思い出した。
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