Chirico

ドリーム・ドリームのChiricoのレビュー・感想・評価

ドリーム・ドリーム(1989年製作の映画)
4.4
VHSで買ったこの映画を、たぶん私は日本で一番繰り返し見ている。
「スタンド・バイ・ミー」や「グーニーズ」でプチ一世風靡した、コリー・フェルドマンが主演。親友役に、コリー・ハイム。はにかんだ笑顔がかわいい。Wコリーなどという、kinki kids のような売り出し方をされていたが、失敗した。
この映画は、おそらくその失敗の一因になっている。
いかにWコリーが好きな人でも、この映画を観た後、彼らについて話し合うようなことはあるまい。
感想といえば、もっぱら「わけわからんかった」
ということになると思う。
その後の主演二人の凋落を思うと暗い気持ちにすらなってくる映画だが、それでも私はこの駄作を愛している。

80年代のハイスクール。落ちこぼれ不良のコリー・フェルドマンが、ある日隣家の老夫婦と自転車で接触事故を起こす。
結果、コリー・フェルドマンと老人の魂が入れ替わってしまう。というのが大筋。
つまり、主人公は若者の体に入ってしまった、老人の精神である。
よくありそうなあらすじだが、説明が不足しすぎて腑に落ちない点が多々ある。
この場合、老人の体に若者の精神、という人間がもう一人出来上がるはずだが、その人物と妻(老人の最愛の妻だ)はラストシーンまで登場しない。
若者と老人は夢のなかで交流するのだが、この夢のなかの世界観がなかなかよくできていてデビット・リンチの亜種にすら観えた。だが、逆に、ここがこの映画の失敗要因の一つである。現実部分の物語進行がなかなかによく出来たアメリカン・コメディなのに対して、この夢世界の描写と、夢と現実が交わる構成が、変に「出来すぎている」のだ。ディズニー・チャンネルとツイン・ピークスの極端な往復をさせられる観客の身にもなってもらいたい。どちらか一方の雰囲気に狙いを絞れば…と悔やまれて仕方ない。

若者は夢の中で老人に告げる。どうせ俺はおちこぼれ、現実の世界になんか帰りたくないぜ。俺の人生をもう少しましにしてくれたら、戻ってやらんでもないよ、オヤジ。こんな内容だったと思う。
老人は若者の肉体を借りて、なんとか事態の収拾に努める。
ここらへんの事情、なぜ入れ替わったか?若者と老人の妻は最後までどこにいたのか?(多分夢の中なんだけど、その辺の説明はない)。など、極めて構成が不親切である。
そんな説明不足の状況のなか、コリー・フェルドマンは意中の女を口説いたり、不良にからまれたり、サイコっぽいイケメンの友達ともめたり、なんだかんだでスクールライフを謳歌。
主人公の中にいるのは老人の魂なのだが、これがなかなかロマンチストで、コメディ映画として割といい出来である。特に、体育館で意中の女の子を踊りながら口説くシーンは、コリー・フェルドマンの雰囲気もあってとても素敵だ。

主題歌の「Dream little Dream」(ママス&パパス)「Dream to remember」(オーティス・レディング)への愛が、もうものすごく伝わってくる。オールディーズ・ブルースの名曲なのだが、映画全体がこの曲のために捧げられているようにすら聴こえる。
この二つの名曲に包まれた映像は、夢見るように、きもちいい。

もう一つ。たったワン・シーンが頭から離れない。
老人の精神が入ったコリー・フェルドマンが、ちぐはぐな学園生活を送る中、意中の女の子と目が合い、微笑む。その後に挿入されるカット。
放課後、誰もいない、窓から夕陽のさした教室の黒板に、こう書かれている。
「未来ある微笑みを交わした」
素敵なシーンだった。BGMは「Dream to remember」。
本当に、素敵な気分になったのだ。
「未来ある微笑みを交わした」。
また、「これが人生さ」とか呟いて下校するコリー・ハイムなど、いちいち素敵なシーンがたくさんなのだが、かといってそれが映画全体の価値に繋がっていないのが非常に残念だ。

大好きなんだけどね!!!!!!!
Chirico

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