Chirico

インサイド・ヘッドのChiricoのレビュー・感想・評価

インサイド・ヘッド(2015年製作の映画)
3.6
心理学や精神医学、神経科学など、人間の心を司る学問を徹底的に研究し、それをピクサー一流のイマジネーションで具現化して魅せた映画。
構造として恐ろしいまでによく出来ている。

ライリーという少女のアタマの中の司令塔には、「ヨロコビ」「カナシミ」「イカリ」「ムカムカ」「ビビリ」の五つのキャラクターがおり、それぞれが少女の為に日々、感情的な指令を下している。
ある日、ひょんなことから「喜」と「哀」が司令塔からはぐれてしまい、相反する二つの感情は司令塔へ戻ろうとする。

ネガティブなカナシミの感情もまた、人が生きる上で大切な感情なのだ、というメッセージが特に胸に響く。「悲しみはきっと優しさと同じ成分なんだね」という唄を思い出しました。(sherbets「サリー」)
後ろ向きで行動力の無い「カナシミ」、そして前向きすぎてともすれば他者の気持ちのわからない「ヨロコビ」。
他の三つの感情含め、単体では成立しない感情の総合的な融和が「人」を作っている。
言葉にしてしまえば、当たり前のことだが、実際に視覚化、物語化してしまうのは、かなりの至難であったろう、さすがピクサー、恐れ入る。

ただ、私はこの完成度の高さに、ある種の恐怖を抱いた。
と、いうのも、構造的に完成されすぎており、「人間という現象は、感情に支配されている」ようにさえ見えてしまうのだ。
それはある意味で真理ではあろうが、感情を統御する理性というものの存在を無視してしまっては、人間存在自体が感情の下位に位置してはしまわないか…とか。
とはいえ、この感情たちは子供のそれであって、ライリーが成長するとともに、また新しい感情も発現するのでしょうね。

感情の宿主(という書き方をせねばならないのがまた怖い)ライリーが少々没個性気味であったのと、感情たちとライリーの間に絆が感じられなかったことが少し残念。トイ・ストーリーのおもちゃたちのように、感情たちはライリーのために奮闘してはいるものの、彼女たち自身ライリーの一部であるという描写にやや欠けた。
願わくば、複数の人間を比較・対象とした続編など観てみたいと思ってしまうがいかがであろうか。

少々、頭でっかちなレビューとなってしまいましたが、あくまでも主題はそのイマジネーション。本家CGムービーのピクサーらしいカラフルなエンターテイメント性は、相変わらず想像力の宝石箱。
難しいことは考えず、こどもといっしょに観たい一本のカテゴリーに封じておきます。

《追記》

各個人の感情の種類と大きさ、そしてパワーバランス(ライリーにおいてはバランスが取れており、ヨロコビがやや強い)を「理性」と、観るならば、やはり構造的には完璧だ…。
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