・2016/03/05
原作未読。記念すべき黒澤明の初監督作(監督は当時33歳)。「修道館の矢野正五郎」が講道館の嘉納治五郎なのは自明なものの、三四郎のモデルが誰なのかまではわからない。
ストーリーは明治15年の東京、柔術家を目指し会津から上京してきた青年・姿三四郎が矢野正五郎に師事し、門弟として修道館柔道を修めていく中で「真の強さとは何か」といったことと向き合っていく古典的なビルドゥングス・ロマン。
静謐な朝の神社で祈りを捧げる小夜の横顔、明るい明治の淡い青春、枯れすすきの荒れる月下の右京ヶ原での柔術と柔道の雌雄を懸けた決闘など、映像の素晴らしさもさることながら、「人間は理性によってのみ死の安心を得る」といった黒澤映画に通底するメッセージが処女作から貫かれているのには感銘を受けた。
再上映時に当局の指導でフィルムの一部がカットされてしまい、戦後の混乱の中で当該部分のフィルムが散逸してしまったことで今なお完全な形では鑑賞できないのがとても惜しい。天才は処女作から天才ということがわかる秀作と思う。
「見ろ、美しいじゃないか。姿、あの美しさはどこから出てくるかわかるか? 祈るということの中に己を棄てきっている。自分の我を去って神と一如になっている。あの美しさ以上に強いものはないのだ。いいものを見たな、姿。いい気持ちだ」