カラン

BACK TRACK バックトラックのカランのレビュー・感想・評価

BACK TRACK バックトラック(1989年製作の映画)
4.0
『ハートに火をつけて』(1990)は監督のデニス・ホッパーが製作会社と揉めて、アラン・スミシー案件で公開された。約20分ほど長くなり1992年に公開されたのが本作である。つまり、『バックトラック』は『ハートに火をつけて』のディレクターズカット版である。

マフィアに雇われた1匹狼の殺し屋(デニス・ホッパー)が、殺人事件の目撃者である美術作家の女(ジョディ・フォスター)の家に侵入して、パスポートの間に挟まった黒のランジェリー姿の写真を見て惚れる。仕事で追跡しているのか、恋心からストーキングしているのか謎の状況で、アメリカを方々動き回って追い詰めると、拘束が嫌いなはずの女は拘束してくる爺いに恋をする。(^^)

そういう本作を、ニナ・メンケスの『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』(2022)が取り上げないのは不思議に思える。本作はコテコテのアンチフェミニズムであるように見えるからだ。ニナ・メンケスの理解では、男たちは3D的空間性を備えた明瞭なフレーミングのショットで描かれるのに、女だけは空間性が見えない不明瞭なライティングの2D的ショットをあてがわれ、性的搾取の対象となる。こういうことを立証しようと、膨大な映画からトリミングして引用していた。

本作『バックトラック』は『羊たちの沈黙』とセットにして、いかにも引用に向いているのではないか。ニナ・メンケスは本作を観ていなかったのだろうか?いかんな。いかんでしょ。ジョディ・フォスターについてフェミニストは語りなさいな。ジョディ・フォスターの女優としての映画出演は男の欲望への隷属であるのか、ないのか。『告発の行方』、『ハートに火をつけて/バックトラック』、『羊たちの沈黙』と出演して、確かに男の欲望との交錯をくぐり抜けるジョディ・フォスターの二十代後半のキャリアにひたすら賛辞を送りたい。

さて、本作でジョディ・フォスターの下着姿の写真が、あるいは、シャワールームのすりガラスに映る不明瞭なイメージが、男を引き寄せるのはニナ・メンケスの語る「2Dの女」そのものであり、そういう男の性的搾取の対象になることを喜ぶジョディ・フォスターのイメージは、男の暴力を増長する、最悪の男根映画の特性なのではないのか?

デニス・ホッパーは女の部屋に侵入し、写真や下着を盗み、女の言動を調べあげ、窃視して、口をおさえ、手錠をかけ、女の窮状につけ込んで、撫でまわして、女の上に乗ってからの妄想で、2分で果てるのだ!まったく全ての女の敵そのものだろうさ。

本作はまずデニス・ホッパーがジョディ・フォスターを追いかける。次に、なぜたか2Dの女を求める女の仇に、その女が恋に落ちる。しかし、終盤、男が女の秘密を聞き、その女のほぼ全てを知っている男が知らない秘密を女が語ると、男と女は別れるのである。女を支配したがる男と、男の眼差しに隷属するアンチ・フェミニズムの女が、なぜか、秘密を教えた直後に別離の時を迎える。そして、女は自分の危機をそっちのけに男を救おうとする。支配者たろうとする男は女の全てを把握し、女は男の眼差しに自分の全てを提供して、その2人が別離し懸命に愛し合うのだから、支配と隷属という発想の破れとその先の愛を、この映画は記念していないだろうか。

その愛を語る理論を見つけよう。ジョディ・フォスターが爺いのデニス・ホッパーを助けに戻る、その愛の理論だ。

映画は旅であり、ロングショットが素晴らしい。


レンタルDVD。55円宅配GEO、20分の10。
カラン

カラン