シンドラーが最後、これも、ああ、あれも売っていれば、あと何人かユダヤ人たちを救えたろうに、
と崩れ落ちるシーン、聞けばあれ完全に創作だそうです。シンドラーはそんなことひとっことも言ってないそうです。
彼のしたことは偉大なのは間違いないでしょうが、本当は金儲けのためにユダヤ人をこき使って工場を経営してたことが結果的に彼らを救うことになった、みたいなことだとかどうとか…
よく知りませんが、高潔な英雄ってわけでもないようです。
それをきいてふとグレイテストショーマンで描かれたPTバーナムを思い出しました。
あの映画でもPTバーナムはいわゆるフリークスと呼ばれる人たちに自信と仕事を与えた良い人みたいな描かれ方をしていましたが、実際のPTバーナムは結構ゲスい人で、本当に彼らを見世物の道具としてしか見ていなかったけど、それが結果的に彼らに仕事を与えることになった、というこの構図。
なんか似てる。
わたしはグレイテストショーマンのそのデフォルメが許せなくて、ていうかふつうにゲスい人として描いた方がぜったい深い話になったのにと思ってしまい、おそろしくもったいないことをした酷い映画だな、と申し訳無いけど思ってしまったのですが、
ことシンドラーのリストに関しては、あまり気になりませんでした。
たぶんその理由は悪の次元が大きすぎるからかもしれません。
つまり、ホロコーストはやっぱり酷すぎる、てこと。身体的に変わった特徴のある人たちを見世物にするのも今じゃ人権問題になりうるけど、ホロコーストはそれの何倍も酷いと思ってしまう。
だからシンドラーを最終的に素直に英雄として描くことに違和感は感じなかったのかも。
つまりなにが言いたいかってったら、ホロコーストは酷い、酷すぎる、ということです。