たしかにそこには人の営みがあった筈なのに。
ある場所から人が消える。
理由は政治的なことだったり、経済的なことだったり、災害だったり、いろいろだろう。
ただ、大抵はあまりポジティブな理由ではない。
人は世代を繋ぐものだし、繋げないなら繋げないなりに責任をとってこれまでの営みにきちんと幕を閉じ、落とし前をつけるくらいには脳があるようにできている。
それができなかった場所がああなる。
なぜできなかったのか。
この なぜ に思いを巡らて、心しめつけられ、時にはノスタルジーまで感じる、それがいわゆる 廃墟好き の脳みそなのです。
わたしたちは、“廃墟”の記憶をきくのです。
だからそこに音楽もナレも要りません。
彼らは雄弁です。なぜなら、人間―ホモ・サピエンス―がおしゃべりだから。彼らの記憶は人間の記憶だから。
p.s. 25歳以上の南河内の人間ならギリ伝わるか伝わらないかって話だけど、、
序盤の方で映った近鉄の駅の壁についていた看板のカタカナ「サンプラザ」の色褪せた文字。あれはノスタルジー…!
わたしは平成の人間だから、サンプラは深緑に白ヌキの「Sunplaza」だけど、オレンジカタカナの「サンプラザ」時代もちょっと知ってるのよ。
(スーパーのロゴの話です。あれです、楕円カタカナ薄オレンジの「ダイソー」見た時と同種のノスタルジーです。)
あの駅がどこの駅なのかは知らないけど、あのカタカナ「サンプラザ」を見るだけで“時代に取り残された”ことがわかる。