空

シンドラーのリストの空のレビュー・感想・評価

シンドラーのリスト(1993年製作の映画)
4.7
「自分だったらどうだろうか」という主観的客観性をもちながら、「てか、なんでそもそもこんなことになったんだっけ?」ってことの成り立ちを気にしながら観たせいか感情は揺さぶられなかった。

「俺はこうはしないな」「俺ならこうするな」「俺もこうなるんだろうな」みたいな。「なんで、このころのドイツ人はこんなに盲目的に熱狂してるわけ?」みたいな。

ストーリー展開も予想できてたし、オチもわかってたし、戦争が悲惨な出来事を生むことも、大勢の中で自らの信念を貫き通すことの尊さもわかってたし。あらかじめ用意されている感動がどこか陳腐なものに感じている部分もあった。

理不尽な理屈で虐げられ、生活を奪われ、家族を引き裂かれ、命を奪われることに感情が伴わないわけではない。自分の大事な人がこんな目にあったら、あるいは自分がこんな目にあったらと想像すると胸は灼ける。その中でシンドラーのように振る舞う自分を想像し、そこにある信念やそれに基づいた行動に勇気を感じもする。ナチス党を信奉する者たちの非道さを感じながらも、自分にもその種が存在しうることを覚えたり。

けれど、常に考えてた。

ユダヤ人はなぜかくも憎まれる存在であったのか。
ナチス党党員をはじめとしてこのように手を下した者たちはなぜそのような考えを持ち行動したのか。
当時のドイツ国民はなぜ信じて疑わなかったのか。
第一次世界大戦敗戦国としてのドイツと彼らに課されたもの。そもそもなぜ第一次世界大戦は起きたのか。
それはそれ以前の世界情勢と世界地図にまで及んでしまう。
そんな中でああした思考と行動をもつシンドラーという人の育ちや人柄、根底にあったものはなんなのだろうか。
とか考えたり。

そうして遡っていくと、どうも感情が薄くなる。「戦争はいけない」と思うし「あんなことされたら辛いわー」と思うし「シンドラー素敵!」と思うけれど単純にそう言い切ってしまえない、それで片付けてしまってはいけないんじゃないかって気持ちになってくる。

社会科の授業で習った断片的な記憶を掘り起こしながら、改めて歴史をみた。

迫害した行為は決して許されることではないけれど、迫害した側に「あー、そりゃしゃーないわ」って思うこともたくさんあった。「てか、当時の日本国民だって質的には似たようなところあったし、現代に生きる我々だって本質的には大差ない」って感じる部分もあった。有事は突然やってくる。そこに取り込まれ翻弄される国民の姿は本質的には変わらないじゃん、って。「ユダヤ人は劣勢民族だ」なんて科学的に根拠もない論文を信じて国民がそこにずぼーーーーってハマっていく様なんて、トイレットペーパー の買い占めに走る人間と本質的には変わらない。自分が苦境に立たされた時に、外に敵を作り、意識高揚を図る手段は、今だって腐るほど溢れてる。2度の大戦で悲惨な体験を経験したり、社会が民主化されたり、情報化された今ですらこうなのだから、当時はなおのことなのだろうと思う。

シンドラーだって、そういうことをなした人としてみるから「素敵!」ってバイアスが働いてその全てが英雄に思えるけど、キリスト教にそれほど興味はないし、成績は改竄するし、学業優秀というわけでもないし、結婚した奥さんとの間に子供をもうけずにシンドラーのお父さんの秘書を愛人にしてその愛人との間に2人の子供をもうけてるし、スデーデン・ドイツ人党に入ってからナチス党を辞めるまでの動き、そこから琺瑯容器工場を買い取って一儲けしようとする動きをみると、せこい側面も持ち合わせてる人間にも見えるし、一貫した信念を持っている人間のようには見えない。1957年から奥さんと疎遠になり離婚もせず再び会うことがなかったとか、シンドラーが亡くなって20年後、奥さんが墓前で「やっと会えたのね…。何も答えを聞いてないわ、ねえ、どうしてわたしを見捨てたのかしら…。でもね、あなたが亡くなっても、わたしが老いても、ふたりが結婚したままなのは変わらないし、そうやってふたりは神さまの御前にいるの。あなたのことは全部許してあげたわ、全部…」って言わせてしまうとかどんだけ罪作りですか?とも思う。奥さん、身寄りが姪子さん一人しかいなくて、アルゼンチンでペットと暮らす生活だったり、反ユダヤ主義の極右過激派からの襲撃を恐れて、アルゼンチン警察の制服警官が24時間常駐するなかで暮らすわけで、なのに自分は1961年から亡くなる1974年まで年の半分をフランクフルトで隠居生活をして、もう半分をエルサレム在住の救ったユダヤ人たちの下で過ごすしてたりするわけで。
結果、1200人の命を救ったけれど、きっかけは金儲けだし、闇商売して、儲かった金で豪遊して女遊びだってしてたわけでさ。

ディスっているわけじゃないし、どこぞの週刊誌のように英雄を引き摺り下ろすために人であれば誰でも持っているような至らないところを拾い上げてその価値を下げようとしているわけでもなくって、要は普通の人間だったってことを言いたいわけで。すごい人格者で英雄のような取り扱いをしているけれど、とっても人間らしい人間。そういう現実。僕にとってはその方が現実味があって親近感も湧く。そんな僕と変わらない人間が成した事柄だからこそ、貴重なことだと思うし、だからこそ、自分がもし・・・と置き換えて考えようとするし、ひょっとしてこの先何か自分にも同じようなことが巡ってきた時にシンドラーさんが生きてくると思ったり。

そう、そんな普通な人が、間違いなく1200人の命を救ったこと、しかも大勢に抗う形で命をかけてそれを成したシンドラーさんがそのときにはいた。

たまたま、そうしたシンドラーさんの全ての要素と出来事や時運、環境が整ってそれがなされたとも言えるわけで。もちろん、そうして事柄を運んで行ったシンドラーさんは素敵だしすごいと思うけれど、そうした全てが折り重なっての「奇跡」という感想の方が強い。

そうやってフラットにいろいろなことを並べて終わって、はじめて僕の中で「戦争ってこえー」って感想と「こんな人でありたいー」って感想が、また改めて浮かんでくる。

この作品が僕にとって大作だったなーと思うのは「ユダヤ人がなぜ迫害されるのか?そういえばなんとなくしかわかってないなー」という疑問に端を発し、第一次世界大戦より少し前まで歴史を遡り、それぞれの立場が何を考え何を大切にしようとした結果衝突し戦争が起き、その中で人がどう立ち居振る舞わざるを得なくなるのか、その中でも自らの意思を持って立ち居振る舞った人間がいかにあったのかということを、改めて調べたり考えさせてもらったという点。

500万人とも600万人ともいわれる犠牲者の方達の身に起きた出来事、苦しみ悲しみ痛み不安をはじめとした人が弱くなるあらゆる感情を思い、哀悼の意を捧げ、犠牲となった方達の魂への慰めと安らかな眠りを祈りながら。
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