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私の中のもうひとりの私のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

私の中のもうひとりの私(1989年製作の映画)
4.0
まるでベルイマンだと思ったら、ウディ・アレンがベルイマンの「野いちご」を50代の女性版(ジーナ・ローランズ)にしてリメイクしたものだった。ベルイマンの撮影監督によるので、画もベルイマンでした。でもベルイマンに比べて救いも希望も未来もあり、ジーナの演技は悩ましくも、悩んだ結果、現状を少しでも打破し、清々しく終わりました。「野いちご」の結末もこんなだったのでしょうか。見直さなければ。

鑑賞二度目でした。冒頭、哲学教授役のジーナが書斎に借りているアパートの空調ダクトから、隣室の心理カウンセリングの対話が聞こえてくるシーンで思い出しました。

他人のカウンセリングを偶然に盗み聞きしてしまうことから、自分との対話が始まり、自己欺瞞している自分自身の本音を深掘りしていきます。

本音に向き合うのは痛みが伴う。

勉学に励むように厳しく育てられた娘が、父に愛されたくて知的な側面だけを伸ばし、好きだった絵をやめ、情動知能を伸ばしてこなかった過去。抑圧していたさまざまな感情に向き合っていきます。

ベルイマンは厳格な父親へ複雑な感情をもち、それが創造の源泉になり、芸術へと昇華されていました。その本歌取りともいえる本作、ベルイマンとの違いは、わかりやすいところです。

いかにベルイマンが複雑にものを考え、出口を探し続け迷路を巡っていたのか、結論を出すことを、仮にでもその時点で避けていたのかが、ウディ・アレンと比べると逆に浮かび上がってきました。迷路で迷う自分を俯瞰して撮っているのがベルイマン、迷路での迷いかた、抜け道を楽しんでいるのがウディ・アレン、という気もします。

本作ではラスト、ジーナは清々しい表情でいます。ベルイマンファンの私としては、自分を深掘りしたらそう簡単にはすっきりしないはずと思ったりして。

ウディ・アレンの作品は多弁すぎたり、自嘲気味だったり、やや苦手なものもあり、あまり観ていないのですが、時系列で本作辺りのは、ベルイマンの撮影監督が入り、落ち着いた雰囲気がありそうなので、観てみたいなと思いました。
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