三樹夫

羊たちの沈黙の三樹夫のレビュー・感想・評価

羊たちの沈黙(1990年製作の映画)
4.8
連続皮剥猟奇殺人事件が発生。FBI訓練生のクラリスは元精神科医の猟奇殺人者鬼レクターの助言をもらい犯人を捜すというサイコサスペンス。
この映画にはレイヤーがいくつかあり、男性社会の中で酷い目に合いながら頑張る女性という映画でもある。男性社会の中にいる女性というのを一番表しているのはクラリスがエレベーターに乗るカットで、背の高い赤のポロシャツを着た男ばかりのエレベーターに一人小柄な女性が乗るという強調された画になっている。FBIは男社会でクラリスがジョギングしていると男たちが好奇な目で見てきたり、田舎警察も男ばかりでクラリスに対して明らかに邪魔者という目を浴びせ、指示を出すクラリスに対してなんで女に命令されなければならないのかというような態度がにじみ出ている。犯罪者も全員男で、しかも全員変態。さらにバッファロー・ビルは女性の皮を剥ぎ殺すという男性社会の中の女性という構図はここでも見られる。男性社会において常日頃から酷い目に合い、チルトンには開口一番美人だねとセクハラかまされ、虫オタクからはキモいナンパを受け、さらにミグスからは精子をかけられる。
そしてもう一つのレイヤーはクラリスのトラウマだ。クラリスは幼少期に養父が子羊を殺しているのを目撃しそれがトラウマとなっている。バッファロー・ビルの被害者と助けようとしたが助けられず殺された子羊が重なり、バッファロー・ビルの被害者を助けることが自分が過去助けられなかった子羊を救うことにクラリスの中ではなっている。バッファロー・ビルの家に無鉄砲にも飛び込むのは、自身のトラウマの救済とも重なり切羽詰まっているからだ。事件の捜査を進めるにつれ過去のフラッシュバックが起こるが、事件の捜査を通して自身の深層心理に入り込んでいっているという表現だ。なんぼほど部屋あってどんだけ広いんだという映画的なハッタリかましたバッファロー・ビルの家を奥へ奥へ入っていくのは彼女の深層心理へ入っていっているというメタファーである。
クラリスは幼くして父親を亡くした。そして今でもファザコンである。父親的な男性を求めるが、男性社会でこれだけ大量の男に遭遇するも基本クソみたいな奴しかいない。しかし2人だけ父親的な男性が現れ、それがクロフォードと一応レクターとなっている。クロフォードに対しては唯一素直に心を許していた。クラリスの手に劇中触れるのは、指を撫でたレクターとクラリスの方から握手を求めたクロフォードというようになっている。

プロファイリングや実在のシリアルキラーをモデルとして盛り込み、90年代のサイコサスペンスブームの象徴的な作品となった。レクターのモデルにはFBIの捜査に協力していたヘンリー・リー・ルーカスがあげられる。バッファロー・ビルは、死体から家具や小物アイテムを作っていたエド・ゲイン、地下室に売春婦を数人監禁していたゲイリー・ハイドニック、女性誘拐の手口はデッド・バンディが元となっている。バッファロー・ビルの皮剥ぎは女性への変身願望で、女性へとなることに蛹から蛾が孵化するというイメージが重ねられている。
プロファイリングについて綴ったロバート・K・レスラーの本もヒット。また90年代の悪趣味文化とも重なっていて、本当に90年代を象徴するかのような作品だ。この映画の後も玉石混交のサイコサスペンス映画は作られ、この映画の影響をモロに受けている作品もあった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』の小泉今日子はまんまレクターだったし、『サイコメトラーEIJI』なんかはレクターまんまのキャラが出てくる上に脱出方法までパクるとやりたい放題であった。

オーソドックスなホラー映画の撮影手法が採られ、フィックスとアップの多用で威圧感と緊張感を与えるどっしりした撮影になっている。あまりカットを割らず、顔のアップのレクターが圧を与え観ている方も緊迫感を感じ、それを受けるクラリスはちょっと引き目のアップで気圧されているということが観ていて自然に感じられる表現になっている。レクターは見上げるようなあおりのショットも使われこの人怖いと思わせる、オーソドックスな撮り方をされている。
基本的に緊張感のある映画だが、緩和もありクラリスが鼻の下にクリームを塗るシーンがそれだ。振り返ったら結構マヌケな感じになっていると緩和になっている。
カメラのフラッシュや暗視ゴーグルの音が印象的だったり、バッファローの家のインターホンが雷落ちたぐらいの爆音だったりの音への演出も拘りが見られる。

レクターを演じたアンソニー・ホプキンスはアドリブ演技も行い少ない出演時間で強い印象を残したが、メソッド演技否定派でただ台本を読んでそれ通りに演じているだけらしい。そもそもこんな奴にメソッド演技でアプローチなんかしたら頭おかしくなりそうだしな。
もの凄い嫌な奴のサイコオヤジのレクターだが、何故かやたら神格化されることに。他人を思い通りにコントロールしてるところに憧れるとかなのだろうか。あるいは罵倒責めで自殺まで追い込めるところとか。隙あれば他人を支配しようとしてくるキモオヤジだが、なんか超人的な存在になってしまった。
レクターとは逆にチルトンは現実にいるような姑息なゴミクズで生活感がある。いきなり美人だねと無自覚なセクハラをかまし(こんなおっさん今でもいるな)、「オフィスでそれを言ってくれれば時間が助かったのに」と心の狭いさと性格の悪さを見せつけ(こんなおっさんいるな)、ギャーギャー喚いてたのに文句があるなら連邦裁判所に話をしろと言われたら何も言えない権威主義で(こんなおっさんいるな)、手柄横取りしアピール(こんなおっさんいるな)、チルトンはこんなおっさんいるなのおっさんの害悪さが存分に出ていた。そんなチルトンと接するクラリスはチルトンよりも何倍も優秀なのにゴミクズおっさんをあやさなければならないという、男性社会における女性の図がここでも表れている。

アカデミー賞を受賞した作品で、しかもこのジャンルで受賞したのが特異な感じもするが、その年は他作品が弱かったというのと、カットあまり割らずアップ多めで役者の演技を見せるという映画なので、投票権を一番持っている役者層がこういう演技を見せれる映画に出たいと思うため票が集まりやすく、受賞もさもありなんとなっている。
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