うえびん

ある子供のうえびんのレビュー・感想・評価

ある子供(2005年製作の映画)
4.2
"子供”とは何か、を痛切に訴えてくる

主人公ブリュノの荒んだ生活と郊外都市の殺風景な街並み。大通りを行き交う車の音やバイクのエンジン音、無機質に鳴り響く音が、荒み具合を増して印象付ける。また、アップショットの多用が、ブリュノの視野の狭さ、狭い交友、狭い活動範囲を印象付ける。終始、作品の世界に引きずり込まれる感覚は『息子のまなざし』と同様のものだった。

ブリュノとソニア、その子供のジミー。
大人と子供、親と子、その境はどこにあるんだろう。

①親に対する子
 ジミーは生まれたばかりで紛れのない子供。ソニアは、子供じゃない。ジミーの世話を労を厭わず率先してやって、親になろうとしているから。ブリュノは、一度、育児を放棄しようとしたので親とは言えない。では、ブリュノの母は親と言えるのか、疑問が残る。

②子供の定義
法的には国連の児童権利条約で次のように定められている。
ー18歳未満のすべての者、ただし子供に適用される法律の下でより早く成年に達する場合は、この限りではないー
 ブリュノは、20歳なので子供ではない。世界186ヵ国中、成人となる年齢を18歳としている国は162にのぼるという。18歳になれば、社会的な約束事に対して責任を負うことができると考えられる年齢が、現代社会では18歳が妥当だとされている。

ブリュノは、家もなく仕事もないのに子供をもうける。育てることを放棄しようとする。ソニアやジミーに対する責任を負えない。犯罪を犯し、社会的なルールを守れない。まだ、彼にも保護や再教育が必要そうだ。親でもない、大人でもない。そうするとブリュノも子供じゃないか、と気づく。

短絡的で衝動的、だけど暴力的ではなくて、仲間思いの一面も見せる。ソニアとジミーへの思いがないわけじゃない。たぶん、社会に上手く適応できないのだ。そうなってしまった彼の生い立ちにも想像が及ぶ。

最後に彼が流した涙は、犯した罪への贖罪の念か。ソニアとジミーに対して自身が行ったことの悔悟の念か。自身の生い立ち、置かれた状況への嘆きか。贖罪と悔悟の念、他者への思いが湧いていれば、彼は大人になれるだろう。彼がこの先、よき父、よき夫になれますように、親から子(ジミー)への負の連鎖が断ち切れますようにと祈りたい。
うえびん

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