キットカットガール

キッドのキットカットガールのネタバレレビュー・内容・結末

キッド(1921年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

 天使の羽は有料、つまり夢の国の住人になる事=現実世界での「生活」には一種の権利が必要となる(誰もが平等に尊重される訳ではない)。「夢の国」では、争いもなく、皆が対等に自らの幸福を追求する自由が与えられている。そこには、階級も、財産の有無も関係なく、住民は権利を手にし、富を共有している。幸せとは、本来はシンプルなのだろう。
 5年間、主人公は子供を助けて育てたと、一方的な働きかけによって関係を築いてきた訳ではない。朝、子供は主人公の男を起こし、男は子供にナイフの使い方を教える。相手に対して出来る事を互いに行い(互助の精神)、互いの存在を頼り(心の糧)に暮らしていた。困窮していたが、一緒にいられるだけで充分だったのだろう(まさに「夢の国」とも言える)。
 一方で、大人たちの気分やエゴ、都合に振り回され、まるで駒のような子供たち。指図されて、やりたくもないボクシング(喧嘩)をさせられたり、離れたくもないのに親と引き離されている。子供の意思は尊重されていない。映画冒頭、人々は置き去りにされた赤ん坊に目もくれないが、成長して、そこに法的な問題が生じていると判断すると一気に注意は集まる。言い換えると、子供の問題とは、周縁の大人たちが作り上げている。授業のレジュメに記載されていたように、幾度も孤児院に送られたチャップリンは、そうした「大人の事情」が常に優位で、子供の無力さが辛い現実社会に対しての問いかけとして本作を発表したのかもしれない。

★1921年から「着る毛布」という発想があったのか。笑
★バター丸々ひとかけらをパンケーキで包むとは...。笑