白眉ちゃん

ルルドの泉での白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

ルルドの泉で(2009年製作の映画)
4.0

 "愛情"や"幸福"といった抽象的な概念は人や環境により容易く変貌する。善人が苦しみ、嫉む人が利を得ることもある。"奇跡"を体現する彼女の覚束ない足取り、儚く所在ない。この世界と私達の危なげな実存。目に映らない"繊細"を映像化する試み。ただただ好きにならざるを得ない映画。

 もし全ての人類が近眼だったなら車はスピードを緩め、二階以上の建物はなくなる。低感度の世界ならリスクは乏しく、幸せは身近かもしれない。"奇跡"は高度な発展と共に人を欲深くもさせる。されどそれは罪なのか?『ルルドの泉で』は"幸福"と"欲望"の狭間を平生の肌感覚で触れる。

 ‪手の平を返す周囲の人々。嫉妬や苛立ち、逆恨みもある。しかし二面性は他者だけのものではない。手に入れた境遇に対する優越や保身、更なる欲望も芽生える。そんな自らの精微な変化への驚き、恐れ、嫌悪。それでも変わらぬ者の献身的な慈愛。すべて紛れもなくこの世界に存在する。奇跡のような均衡で共に存在する。

 男女のダンスシーンほどに、人類の営みを俯瞰するシーンはないのではないだろうか。映画を観ているとよくそう思う。この映画のラストのダンスシーンも泣きそうになってしまった。彼女が夢見た"普通の幸せ"も手にした瞬間には、周囲から"奇跡"に書き換えられてしまった。彼女がよろめいて倒れた時に、彼女は自分に向けられていた周囲の感情のもう一面に気がついてしまった。それと同時に自分の内側の変化にも。絶妙な均衡で成り立っていた奇跡の効力が解ける瞬間の儚さ。それは個人的には、映画という"束の間の虚構"の意義にも抵触して胸を打つ。

 同監督の最新作『リトル・ジョー』(19)にも共通する概念の複層性。"幸福"を見つめる目線の位置と温度。ジェシカ・ハウスナーの映画がもっと観たい。
白眉ちゃん

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