めしいらず

いまを生きるのめしいらずのレビュー・感想・評価

いまを生きる(1989年製作の映画)
4.8
己の人生の航路を見定めようとする多感な少年期の瑞々しい感性の煌めき。さまざまな経験に学びスポンジのように吸収していく。その中で自分の心が動くものを見つける。カーペ・ディエム(いまを生きろ)。躊躇っている暇はない。人生の時間はあっという間に過ぎてしまう。誰の人生にもそれは等しい。だから「自分の力で考えることを学べ」。キーティングが教えてくれた様々なこと。物事を常に客観的に見つめる視座。作者でなく自分がどう思ったか。大胆さと慎重さの使い分け。自分の言葉で話し、自分のやり方で歩くこと。今受けているさまざまな感動は、感性の花壇に水をやるのと同じであり、それらがやがて一個の自我へと結実するのだ。近道したり気も漫ろだったりでは深い感動には辿り着けない。通り一遍の平凡な経験に堕すだろう。心動くものを見つけられたら後先を考えずに飛び込む。思索は人を押し留めようとするだけ。経験の中でしか本当の思索は深まらないのだ。駄目な人間だと自分に呪いをかけていては殻は破れない。笑われても後ろ指さされても己に信念があれば突き抜けられる。人の足を引っ張るのは自信がない奴らだ。彼らは他人と同化し楽して生きようとする。それで己の人生を生きたと最後の日に言えるだろうか。その一方で、若い時には判らなかったことがそれなりに年を取ると理解が追いついてくる。うんざりさせられた親の干渉にも、ちゃんと我が子への偽りない愛情があったのだといつか必ず気付く。昔はただ独善的に見えていたニールの父親が今では全く違って見える。彼は息子の信念の強度を試そうとわざと頭ごなしに辛く当たっていて、寧ろ従順に過ぎる息子に中途半端でない反抗心(自立心)が芽生えるのを待っていたように今は思えて仕方ない。息子を言い負かした後の寂しげな表情がそう思わせる。この映画は10代の内に観ておくべきだとずっと思っていた。あの時に受けた途轍もない感動は、今でも物事の見方に影響を与え続けている。しかしあれから30年経った今だと、この映画の別の側面に気付かされる部分もあり、また別の感動があった。つまりどの世代になっても心動かされる素晴らしい映画だということだろう。キーティングを演じたロビン・ウィリアムスが役に生命を吹き込んであまりにも見事。
再…鑑賞。原題は「死せる詩人の会」。
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