SatoshiFujiwara

うつせみのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

うつせみ(2004年製作の映画)
4.1
ほとんど語らないことが語りすぎるよりも雄弁足りうることを『うつせみ』は証明してみせる。傑作だ。

バイクでチラシを配る男・テソクと夫に虐げられる女・ソナ。テソクは無人の家に侵入して風呂につかり、食事を作り、なぜか洗濯板で洗濯をし、そしてベッドで眠るという妙な行動を繰り返す。家人が不在と思って侵入したとある家で、顔に殴られたと思しき痣や腫れのあるソナに遭遇してしまうテソクだが、いくら横暴な夫に虐げられているとは言え、全く知らない赤の他人が知らぬ間に家に侵入していたということなんぞまるで意に介していない、とでも言うようにごく当たり前の如く、その侵入者・テソクのバイクの後部座席にまたがって共に屋敷を出て行くソナ。

このような非現実的なシチュエーションになぜ説得力があるのか。テソクとソナにのしかかる曰くありげな(何ゆえこの2人は今このようなことをしているのか/このような状況におかれているのか?)過去の時間的堆積。さらに観客の深層に訴えかけるように作用する、家の壁に掛けられるソナの美しい、それでいて不吉なモノクロームのセミヌード写真。写真はかつてあった何者かのその当時の似姿であり、それを後から見返すことは今はない/違っているものとの差異を想起することであるから、それは喪に服することと同じだ。本作で侵入する家の壁には軒並み家人のポートレイトや写真が(時にはバラバラに分断されて)目立つように掛けられているのは、写真の持つ過去への想像、という属性ゆえだ。

このように、キム・ギドクはあからさまに語らない。ほのめかす。語らないことで観客の想像力に働きかけ、それが直接的に語ることよりも遥かに雄弁に「語る」。

映画は中盤から神秘主義的な様相を呈して来るが、家屋侵入で逮捕されて独房に入れられたテソクの謎の不可視化。結局は夫の元に戻る羽目になったソナの家で感じられる、まるで生霊のような、あるいは透明人間のようなテソクの気配。最後にはソテクもソナも本当に実在していたのか、という「とある」描き方がされているが、ここで観客は、この映画の中で起こったことはあるいは夢か幻か、と思わされる羽目になる。ちなみに本作でソナは1度悲鳴を上げ1度言葉を発するが、テソクは全く発語・発声をしない。全く、だ。これの理由もまた、分からない。

※全く関係ないが、韓国にもミニストップがあるんですな。
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