apapatti

252 生存者ありのapapattiのネタバレレビュー・内容・結末

252 生存者あり(2008年製作の映画)
1.5

このレビューはネタバレを含みます

うん
これぞ、感がだいぶ強い笑

なんかでも追い込まれて葛藤しました
って結果だから、
あんまりこう心境の変化とかに重みがないというか、、、いや、とんでもなく偉そうな話なんだけど、トラウマがあってできなかったことを緊急事態だからやらされるって構図じゃないですか。

親父が自分のミスが原因で自殺しちゃったトラウマで医者やめたいとか、隊員救えなくてレスキュー辞めたとか。
目の前の人が死にそうだから輸血とか、落盤からの復活みたいな感じになってるんだけど、なんというか、そういう心境の変化自体はフィクションじゃなくても起こり得るんだよなという。

輸血も落盤復活も、まあその結果だけ見ると十分超人すぎてフィクションなんだけど、そっちじゃないのでは?と思っちゃう。

何にメッセージを置いてるかは、作者しかわからないと思うけど、それでもこの舞台装置を使って表現したかったことって、それでいいんだっけ?っていう。

仲間を助けに行きたい!
お願いします!みたいなシーンもまあ確かに熱いけど、公務員(あれ?レスキュー隊って公務員?)がそういう判断をし得るという見せ方もあまりよくないのではと思ったり…。
だって他にも被害地域いっぱいあるわけで、そこにいくか行かないかだけで判断するのはダメでしょ。あの人数動員したら5人どころか100人救えましたみたいなとこもあるかもしれないわけで…。
それならレスキュー隊という公に仕える人じゃなくて、民間のレスキュー組織とかの方がまあ良かったんじゃないとか。

あのシーンで伝えたかったことが、仲間を助ける熱い想い!!なんだったとしたら、だけど。

結局東京がやばい災害にあうというでかい舞台装置を使う必然的ってあったんだっけ、みたいな想いになってしまう。

別にPRしろというわけではないんだけど、治水とか災害対策はこうなってるみたいな情報が盛り込まれてて、避難の価値が描かれてるとかが写実的なら、ああ、防災意識の啓蒙をしたくて、災害被害というテーマだったんだなと思ったりするわけで。

トラウマを抱えたレスキュー隊員とか医者の復活劇なら、ノンフィクションでももっと良い題材いるでしょとか。
わからんけど野口英世のドキュメンタリーでも成り立つんじゃないの。


比較するのもなんですが、シン・ゴジラなら、こう日本の会議方式とかをテンポよく皮肉りながら描きつつ、災害にどうやって立ち向かうか、その時ステークホルダーはどう考え、意思決定するか、最終的に国家間のステークホルダーにまで話がスケールアップしていくというのがみものじゃないですか。フィクションでありながら、写実的なところを徹底している。(他にも色々魅力はありますが!)

そういうこう、話の軸というかどういう時に見ればいいんだろう、というのが自分の中に落ちなかったのがある。

まあでもコンセプトは大事だよなと。
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