Jeffrey

水の中のナイフのJeffreyのレビュー・感想・評価

水の中のナイフ(1962年製作の映画)
5.0
「水の中のナイフ」

〜最初に一言、ポランスキー映画史上最も好きな映画であり、今までに何度も見返してきた傑作。コメダによるジャズのピアノとサックスの調べ、どこまでも美しい風光明媚な湖、心理戦と不穏な空気が途切れなく続く洋上映画の傑作。ワイダ、ムンク、カヴァレロヴィッチの3大ポーランド映画の巨匠の後に生まれた恐るべき逸材が唯一母国で作り上げた初期の傑作である〜

冒頭、風光明媚な湖。フロントガラス越しに2人の人影が見える。とある裕福な夫婦、ヨットに乗り休暇を楽しむ。そこにヒッチハイカーの青年が参加する。些細な喧嘩、ゲーム、ダイブ、緊迫、緊張。今、3人の男女の心理的洋上生活が始まる…本作は1962年にロマン・ポランスキーが監督した長編デビュー作で、彼のフィルモグラフィの中でダントツに好きな映画で、脚本は監督とイエジー・スコリモフスキとその他で執筆され、アカデミー賞ではポーランド映画として初めて出品されノミネートされた作品である。強烈な戦争体験から直接的にメッセージを投げかけたワイダを始め、カワレロヴィッチ、ムンクらの世代の後にもう一回り若い戦後派の登場を確信した作品であり、ポランスキーはその第一人者であろう。さらに彼はポーランドにとどまらず、米英映画界でも特異な題材の傑作をいくつか出している。逆にポーランドで撮られた本作は貴重なフィルムになっているのではないだろうかとすら思う。本作はベネチア国際映画祭にて国際映画評論家連盟賞を受賞し、英国アカデミー賞の作品賞にもノミネートされている。



本作の冒頭はフロントガラス越しに2人の人影が見えるファースト・ショットで始まる。さて、物語はアンジェイとその妻クリスティーナの裕福な夫婦は、湖へ休暇に向かう途中で、ヒッチハイカーの青年を拾い、共にヨットのセイリングを楽しんでいた。しばらくは仲良く過ごしていた3人だったが、些細なことがきっかけでアンジェイと青年は喧嘩になり、青年が所有していたナイフが湖に沈む。さらにアンジェイは激こうした青年を殴りつけ、彼は水面に消える。夫婦は青年を殺してしまったのではと不安を募らせていく…壮年期の知識階級に属する中年男と、その美しい妻がヨット遊びに出かける。登場人物はわずか3人。そして途中で1人の正体不明の若者を拾うことになる。この3人の、ヨットの上での、日曜日の早朝から翌月曜日の朝までに起こった出来事。事毎に対立する中年男と若者。それに対して微妙に反応する女心。静かな湖上を滑る白いヨットの3人の間に沸き起こった複雑な感情と揺れ動く心のひだを冷徹な瞳で見つめた異色作である…と簡単に説明するとこんな感じで、映画の展開には、何のひねりも意味ありげなものもなく、とりあえずジャズの音楽が奏でる中、淡々とした単純な描写が続いていく。3人の男女、走るヨット。大空と大海原、この小宇宙の空間とも言うべき場所で、風や雲や雨の無言の存在感を際立たせ、それが事件らしい事件もなく、心理的なサスペンスだけが絡み合う人間たちのドラマを形成した傑作である。

この映画1本見たって、戦後ポーランドの置かれている暗い状況がしみじみ伝わってくる。少年時代にレジスタンス運動やワルシャワ放棄を体験した監督だからこそ作られた作品だろう。息苦しい衝撃の大きさが凄まじく、社会主義国の影の部分が微かながらに現れているような感じも映像からする。そもそも無意味に倒れて行く若い闘士の青年をポートレートとして映像化したワイダの抵抗三部作特に「灰とダイヤモンド」があり、それはポーランド映画の中でも傑作中の傑作であり、1944年のワルシャワ蜂起の最終段階で抵抗線に挫折してゆく人々を独特な角度でとらえた「地下水道」から発展し、いわば3大巨匠の1人(カワレロヴィッチ、ムンクと並び)とされているワイダの「地下水道」にはポランスキーが出演している。そのポランスキーがポーランドのニューシネマの始まりを予感させるわずか3人の登場人物によって展開される心理的ドラマが本作である。

話が「水の中のナイフ」から脱線するが、ポーランドの映画年代記を少し話したいと思う。1957年から61年までに作られたポーランド映画は、とりわけ凄まじい傑作が多い。多分、この時期にポ派映画が確立したと言っても過言ではないかと思う程で、カワレロヴィッチの「戦争の真の終わり」は未だにメディア化されてないが、彼は本作から私のポ派ベスト10に君臨する大傑作「尼僧ヨアンナ」と発展して言ってるし、ワイダにすれば最早傑作ばかりしかこの時代には出してない。「ロトナ」がソフト化されて無いのも残念極まりない…。そしてムンクに至っては、「やぶにらみの幸運」がソフト化されて無いのである…。そして62年からはポ派の新人が続々と現れる。ヴォイチェフ・ハスやカジミェレ・クッツなどである。ちなみにこの2人の作品はほとんど好きである。そしてこの同じ年代に今作の監督のロマンポランスキーや脚本を務めたスコリモフスキーなどが登場する。

そしていよいよ1968年から1971年にかけてクシュシュトフ・ザヌシの登場である。彼は物理学と哲学を学んだ彼なりのポーランド映画を作った。「結晶の構造」は高度に知的な内容の作品を生み出し、それを後に「家族の生活」から「季節報告」「イルミネーション」と受け継がれていくことになるのだが、一方ではヴィクトルト・レシチニスキーが「罪を盗んだ罪」「ロキス」と次々に発表し、傑作を世界に提供した。70年代に入ってもワイダは作品を撮り続け、この時代になると「約束の土地」等を監督している。ここまでポーランド映画を語ってきたか私にとって幻のポーランド映画が1つだけある。それが昭和に日本で初公開されてから公開がされてなく、メディア化もされてない「遠雷」と言う映画である遠雷と聞けば根岸吉太郎がatgで撮った「遠雷」やサタジット・レの「遠い遠雷」などが思い浮かぶが、私が言っているのは、イェジー・ホフマン監督による1974年の5時間越えの超大作ロマンス映画「遠雷」である。これだけがまだ見れていないポーランド映画の有名どころで…。



いゃ〜、クリシトフ・コメダの音楽が堪らない。覆い被さるかのようなピアノとサックスによる物優しいジャズの調べはたまらない。コメダと言えば殆どのポランスキーの映画の音楽を作曲していて、「ローズマリーの赤ちゃん」にしろ音楽の優位性が際立つ。冒頭のジャズが奏でられながら、車を運転するブルジョワな夫婦をシルエットをガラス越しから車内を映し、ガラスに木々が反射する演出が最高。この映画はもう冒頭から非現実的で、青年が車の目の前に現れて轢き殺しそうになって、夫が激怒して、それで妻だったら青年を車に乗せるだろうと言うことでいきなりその得体の知れない青年を車に乗せてしまうのだから、現実離れしている。そこから白いヨットに3人で乗って水に浮かぶのだが、とにかく風光明媚な映像とジャズの音楽がたまらなく相性よく最高である。そして健康的な肉体を持つ奥さん役の女優の水着姿に、青年のエキセントリックな表情、海面に反射する太陽光の美しさ、波の音、風の音、カモメの鳴き声などなど、全てにおいて最高だ。

そんで湖の上から草むらの中にロープを引っ張ってボートを誘導するシーンがあるのだが、そこの草が体に当たる音などが強調され、上半身裸の男(青年と旦那)2人が口論しながらなんだかんだ奥さんがボートに乗っているのを引っ張って、そこからまたジャズが流れて頭上ショットでボート内を捉えたり、非常におしゃれな画作りをしている。特にボートの先端の尖っている細長い三角形に青年が海パンいっちょで横たわっているシーンは磔のキリストのようだ。この作品人間の体の部位をクローズアップするのが結構目立つ。青年がジーパンのベルトを締めようとする時のお腹のクローズアップや、奥さんが調理している際の後ろ姿の背中のアップなど。ヨットの中でのジェンガゲームのような場面は印象的だ。そしていよいよ物語も佳境に入り込む中盤の終わり頃から、青年が男に突き落とされ、水の中に消えていってから、奥さんが泳いで探しに行く場面から物語が非常に緊張感増していく。まるで今までヨットと言う鍋の蓋が閉じていてぐつぐつ煮込まれていたのが、蓋を開けられた瞬間に解き放たれた緊迫感が一気に襲うような感覚、凄まじすぎる。これがデビュー作とは本当に驚いてしまう。

青年がヨットの帆を手で握って、海面に足をつけて歩いてるような素振りをするワンショットがあるんだけど、それがものすごく好き。どうってことない描写なんだけどすごく記憶に残る。改めて見るとこの作品は脚本を担当したスコリモフスキーと共通点が多いなと思った。そもそもこの作品冒頭の車の中での痴話喧嘩的なのから既にこの夫婦には冷めきった隙間があることが暗示されており、ヨットの上に青年が登場することによって、最初から結末がどうなるかと言うのが半ば提示されていたような気もする。洋上を舞台にした心理的サスペンス映画だとアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」と同じ位に好きである。物語の趣旨はわりかし離れているが、緊迫感と緊張感と焦りは非常に似ている。その映画が60年の映画なので、2年後の62年に本作が撮影されているのを考えると、少しばかり影響受けたのか、気になるところだ。この映画は結局冒頭のシークエンスで、クライマックスが終わると言うのを見ていると、その謎めいたものが何を意味するのか、もう一度車の中に夫婦を誘って閉じ込めてしまうポランスキーが非常に憎たらしい演出をしているなと思った。これが彼の元祖であり、後に多くの彼の作品に現れる強迫観念の始まりだったのだろう。

当時アバンギャルドな作品が世界的に流行っており、この作品の場面にもそういった実験的なもしくは前衛的な試みを感じる場面があった。それが青年が左右の目を交互につぶって指とマストを眺めるショットなのだが、その後に数回のカット割がなされていて非常に印象深かった。視差によって青年の指とマストの位置が逆になったり面白い。そもそもこのエキセントリックな青年役の役者はギリシャ彫刻のように美しい体の持ち主であると評価されていたようだが、確かにそうである。それからよく戦争映画や度胸だめしなどに行われるナイフでのパフォーマンス(ファイブ・フィンガー・フィレット)をここでするのだが、指の間にナイフを素早く刺していくと言うのは映画として見ていてもヒヤヒヤものである。だからこの作品にはそういった緊張感を表すような演出がいくつも施されている。そしてタイトルに付くナイフが青年の手元から男(夫である)に奪われた時、水中に落ちてしまうのだ。そこからもみ合いになって新たな展開へとたどり着く…。これはどうやらユーネクストとかで配信もされていたり、レンタルとかでもあると思うので気になった方ぜひとも見てほしい。これはポーランド映画の傑作中の傑作だと思う。こんな映画デビュー作で撮ったポランスキーが非常に羨ましく嫉妬したくなるほどだ。
Jeffrey

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