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妻はフィリピーナ
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『妻はフィリピーナ』に投稿された感想・評価

☑️『妻はフィリピーナ』及び『あんににょんキムチ』▶️▶️
「みんな同じ人間じゃないの?」「いや、まるで違うさ。日本人とフィリピン人は違う人種(みたいなもの)さ」/「子供出来た時、なんで産みたい、俺と結婚したいと、言ったんだい? 好きだったのかい?」「そう言えば、(他の男と同じく)離れていってくれると思ったから。私はフィリピンに帰って堕すつもりだった。あなたは(そもそも)どうして私と寝たの? 好きだったの?」「やりたいだけさ、男は誰でも」「日本人の男は?」「フィリピン人であろうと、男は皆同じ。その時、こんな風な、家族になるなんて、思ってもなかったな」
先輩「妻はフィリピーナ」の、妻とは20歳位違う矢代さんは、「フィリピンに870万円の家を家族の為に建ててくれたから。勿論好きだけど、それがなければ」と妻に明るく言われるのに対し、自らフィリピンパブでバブル崩壊前は特に稼ぎ、幼少時に再婚相手とドイツに行き、修道院ほかで寂しく育ち母とは永く暮らしてなかったのに、いま、失業も「働く気がしない」という兄も含め「約束だから」と送金を続け、子はまた母に預け直したいというこっちのフィリピーナの妻も、共通して(働かない)目上の家族を養うのを、当たり前としている、理解を越えた家族観がある。正直で夫の妹に「金もない兄と結婚したのは好きだから?」といわれても否定はしないが曖昧にしか答えない(のが上記のラストで、実のところが分かる、普通考えれば衝撃の真実も、観客もいまや微笑ましく捉える)。
「はいお帰り、あなたお疲れ? 食事出来てますよ。はい、いってらっしゃいませ···日本人と結婚し直して」と日本人の妻のイメージを揶揄する位·独立心が強く、故国で母に預けてた間に自分に懐かなくなった(のと、母がいなくなると共働きで面倒をみられない~保育園は嫌~)娘を母の帰国に合わせ、再び預けるのに、迷いはないが、夫の説得と議論で方向を見直し、手元で育て直すうち、長く改善されていなかったドラッグ後遺症に晴れ間が見えてもくる。
それにしても、当時ブームみたいにいわれたけど、率的には稀で特異な取材·描写対象が作者自身という、客観的にはなり得ない身近な熱度·ひっ迫度。周りの協力もあって、2年くらいか長期に亘り一時の呵成だけでは纏められぬスパンの俎上が与えられた事。何よりカメラマンが作者だけというのでなく、補助というかメインのスタッフが多くの場面で付いてて、かつ彼というか彼を送り出した所属の今村の学校の腰の据え方が、作者のおそらく個人的才能を上回ってて、一部手持ちもあるが、多く三脚に載せぶれず構図や画調もしっかり安定して固めてきてる、にも現れてる映画として揺るがない力。と、思いや予想もしなかった、時流を扱ったエピック際物をしっかり超えた物になってる。恥じるも何もない本格派で、ルノワール『大いなる幻影』のギャバンとダリオのやり取りを想起すらする。それくらい、彼女の会話·内側に惹きこまれてくる。
その中からこそ、了解取らずに·許してなくて逢うのも拒んでる父のいる家に、見切り突入の手持ち·絞りやズームも狂った感じで入ってくと、それ以上の·父の初めは体面上黙ってても·噴出してくる止められない憤りが収められ、またそれがカメラオフの場でしっかり親近感·愛情が突発的·本能的に生まれたに転じた事の示され。そして、ラスト辺の照明も暗い中の他スタッフもいない·夫婦だけの寝て向き合い本当の事の自然告白仕合い、それが長い「家族としての共通共同生活·体験」へ経ての事で、より和み·一体感が揺るがない証左になってる事の写し出し。といった特上のシーンが誕生する事になってる。
フィリピン女性には正直偏見があったけれど(作品上の父の姿勢は、取り繕わない我々の鏡でもある。同時に妻の「私も逢いたくない」にも充分共感·拍手する、矛盾の中にいる)、シビアな金銭と自立の感覚、もって回った言い方など拒否の正直さとストレートさ、正直怠けてもいる家族を稼げる者が引き受ける覚悟、とアッパレと張本にならざるを得ない(結婚式でカメラも渡った、フィリピン現地の人も基本、見事に楽天的、上下区別や卑屈のなさ、日本人への軽蔑·怒りの層もまたしっかりと)。兄を心配し、義姉を理解·愛し、フィリピンに偏見なく、自らの結婚式出席者を巡り家族の板挟みになって式後ストレス入院の、エレクトーンを教えてる妹の柔和さにも、今度は古めかさ残した日本の(当時の)いまの女性にも感心してくばかり。只、この夫婦、この後どうなったのだろう? 嫁さんの性格·生き方からして、末永くとも思えない。
ともかく、この味わいのとぼけ·いい加減·しかし腰の座った、力加減は観たことがない。
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『~キムチ』の方は高名で、作者もわりと早く大物化して、TVでも時たま見かける存在になってたので、既に観ていたが、家庭用ビデオ主体の貧しい画面で、これは作者が完全コントロールした作品であり、単身戦争前に韓国·故郷を見限り·日本に渡って信用の土台を築いた亡き祖父を中心とした一家の歴史と、今の自分と家族·親族の半島韓国人~在日韓国人~日本人の間に自分が位置するところの認識の様々、を描き切ってる。継母に疎外され、いるところなく日本に渡り、葬式·墓石まで日本名を貫き、生活様式·言葉も日本流に完全に徹底し、故郷とも音信少なく、地域·社会の信用も並大抵ではなく、帽子屋としての成功を越えて、選挙権はないのに選挙の応援に駆り出される程だった祖父。自らは出来なかったが、娘婿の帰化にも賛成·推進的。がその内次第に、違うものが垣間見えてくる。心を許した友人と飲む時は全て韓国語、郷里を訪ねると親族は近しく思っててくれ、「松江」の日本名は、創氏改名の親族会議を聞いて従い流用、拘った事、らが知らされ、祖母だけは亡き夫の内では100%韓国人宣言の筈を言いきる。韓国人である事を考え始めた作者に対し、婿養子の父や、本作で半ば自らの目線でナレーターを勤める妹は、1日1日スムースに流れてく事重視からのスタンスを気負いなく取ってて、それはそれで清々しい。
証言、家族との間、友人らとの間、当時写真と解説、現地へ渡る、しっかりバランスを取ってる。現地の一族の墓石に、祖父を偲んで日韓の国旗を並べ置くと、日本のだけ滑り落ちるところがいい。
〈戦後日本ドキュメンタリー映画再考〉
日本映画学校:寺田靖範と松江哲明
18:30開映

監督のナレーション、あるいはセリフから看取される凡庸さには呆然とするものの、映し出しているものの強度が、物語的もしか言いようのないそれであり、とにかくヨウコがいい。もっとヨウコを映すべき。