湯呑

続・荒野の用心棒の湯呑のレビュー・感想・評価

続・荒野の用心棒(1966年製作の映画)
4.8
そういや『続・荒野の用心棒』って観た事なかったな、と最近公開されたデジタル・リマスター版を鑑賞してきた。やっぱり、イタリアの低予算娯楽映画は良いなあ、というのが正直な感想。作り手の志が高いのか低いのか、よく分からないんだよね。
黒澤明の『用心棒』を西部劇に翻案してみたらどうや?とセルジオ・レオーネに持ち掛けたのは、普段から仲の良かったセルジオ・コルブッチらしいが、レオーネの『荒野の用心棒』から2年、『用心棒』ネタでもう1本ぐらい映画作れるやろ、と自身で製作したのが本作である。邦題は日本の配給会社が勝手につけたもので、『荒野の用心棒』の続編でも何でもない事は周知のとおり。
とはいえ、本作はやっぱり『荒野の用心棒』をものすごく意識して作られた事は間違いない。棺桶の使い方なんて、『用心棒』のアイデアをそのまま踏襲したレオーネへの「ワイやったらこうやるで!」というアンサーとも取れるし、利き手を潰された状態で敵と戦う『荒野の用心棒』のクライマックス場面に対し、本作の主人公ジャンゴは両手とも潰されてしまうのだ。「こっちは両手ともいったるで!」という、コルブッチの対抗意識が窺えるではないか。
まあ、こういう稚気であったりけれん味(単なるコケ脅しとも言うが…)が本作の魅力だし、その後のマカロニ・ウエスタンに大きく影響を与えた点だと思うが、コルブッチの画作りには曰く言い難い陰鬱さみたいなものが込められていて、プロットだけ取り出せばしっちゃかめっちゃかなのだが、血と暴力の世界から抜け出そうともがいても、結局は元の世界に引きずり込まれてしまう人々の悲哀が画面から伝わってくる。もちろん、彼らの運命は映画の序盤に登場する底なし沼や、泥濘を棺桶を引きずりながら歩くジャンゴの重い足取りによって予告されていたものなのだが。
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