えそじま

大砂塵のえそじまのレビュー・感想・評価

大砂塵(1954年製作の映画)
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徹底した崖下の事件への俯瞰にはじまり、ヒロインのヴィエナがそこに立ち階下を見おろす賭博場の階段につづき、人が人形のようにころげ落ちていく岩山の急斜面にいたるまでの異様な高低差は、たしかに物語よりも多弁なはずの何かを語りかけてくる。賭博場の歪なステージの上で、ゴツゴツの岩を背景に真っ白なドレスを着てピアノを弾くジョーン・クロフォードの姿も異様だ。このあとすぐにドレスは燃える。というか黒から白へ、赤へ、黄色へとめっちゃ着替える。これも何かありそう。

巧妙に事件の本質を避けながら、私怨を民衆の正義に引っかけようとするエマは、ほとんどの場面で低いところから宿敵のヴィエナを見あげ、高さの優位などものともせずに圧力をかける。彼女や取り巻きの自警団が熱望するのも、高いところから人を吊り下ろす絞首刑である。クライマックスに頂上の山小屋の曲がり廊下で決闘する二人の視点はやっと堂々と同じ高さにそろう。そして決闘の前後では、敗者は男も女ももろとも斜面を転げ落ちながら虚無的に死んでいく。

二人の力強い女性の対立を軸に、いろいろな意味で心の弱い男たちが上下左右にふりまわされている様子がこの時代の西部劇群からは一線を画しているというか、真逆のイメージだけども、そこには抑制された大人の恋愛の駆け引きがあり、トリュフォーが特に溺愛しているのもおそらくこの点じゃないかと思われる。『暗くなるまでこの恋を』のジャン=ポール・ベルモンドの台詞からして。
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