カラン

壁の中に誰かがいるのカランのレビュー・感想・評価

壁の中に誰かがいる(1991年製作の映画)
4.0
白人ではなく黒人。

大人ではなく子供。

金持ちではなく貧乏。

医者ではなくフール。

そして、人間ではなく、むしろゾンビ。

。。。

☆闘争

映画におけるマイノリティの闘争は、いつのまにか勧善懲悪のパターンに嵌っていくので、映画がその大義名分を高く掲げるほどに、そういうことは立場によるのだと、《大いなる物語》が死んだ現代では、相対化されてしまうのである。

ホラーの帝王の『壁の中に誰かがいる』は、さまざまな階級闘争が問題になっている。人種の闘争、経済の闘争、文化の闘争、、、これらの対立で弱い立場にある者たちを徹底的に支援する。そうすると勧善懲悪のパターンに嵌まりにいく展開になるが、最終的には主人が蓄積した財が、ダイナマイトの爆煙によって貧しいアパートの住人の上空から舞い降りてくる。それと共に、カニバルをして生きながらえてきたゾンビたち、壁の中の住人たちが解放されて、夜の通りに紛れていくのである。帝王は奴隷と主人の弁証法において、奴隷を勝利させるが、その勝利を悲惨と苦悩と罪悪の象徴としてのゾンビのこの世への闖入を伴うものにすることで、勧善懲悪ものの陥る門切り型を回避して、吹き出してくるものの威力をリアルに描く。

帝王には黒人の少年を死なせる必要などないし、爆発によってカニバル・ゾンビたちが死に絶えたなどとする必要もない。逆に悪しき主人の死と少年の生還というイベントが、この現代社会におけるカニバル・ゾンビの創世記となるのである。


☆ゾンビ

ゾンビたちが壁を突き破ってきて群れをなして女主人に襲いかかる。女主人はゾンビに足を掴まれて手ひどく転倒して、役者のウェンディ・ロビーは恐らく負傷しただろうが、転倒しても身体を激しく捻り、ゾンビの手を逃れようとするのを、狭い屋内においてカメラはハイアングルで生々しく追いかける。ここは心底感心した。ウェス・クレイブンはこのような直接的なアクションを、誉れ高きデビュー作の『処女の鮮血』(1972)では、ショットによってものにすることはできていなかったのだ。

この主人の家に捜査に来た刑事が「素晴らしい家具だ」という。窓は割れない強化ガラスである。そんな重厚な家の内壁を素手で破って壁の中のから出てくることは、この映画のゾンビたちに可能であるようには見えない。襲いかかってくるゾンビの群れショットは劇中でもっとも感動的であったので、その直前の登場のシーンのリアリティのなさに、複雑な思いだった。


☆ボンテージの男主人

エヴェレット・マッギルが女主人の夫でありながら、実は弟という謎の男主人なのだが、偏執的な破壊屋である。ショットガンをぶっ放して、犬をけしかけ、女の子をベルトで折檻して、殺人する機会を伺っている。その男主人が、興奮するとなのか、仕事着なのか、シルバーのバックルとベルトと大ぶりのリベットが打ち込まれた全身ボンテージになる。奴隷の主人、サディストの悪魔、獰猛な犬、そういう彼の特性を1発で表現する衣装だった。目を潰されてマスクを脱ぐのだが、脱がないで欲しかった。全身ボンテージのごついショットガンは、異様な格好よさであった。


レンタルDVD。画質良し。2chの音質もバッチリ。

55円宅配GEO、20分の2。
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