SANKOU

斬るのSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

斬る(1968年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

侍を捨てヤクザものになった源太と、侍に憧れて百姓を辞めた半次郎。行きずりで出会った二人は藩の腐敗を巡る争いに巻き込まれ、やがて敵味方に分かれて戦いに身を投じることになる。
が、不思議と敵同士なのに二人の絆は物語が進むに連れて深まっていく。
これは源太の人間性によるところが大きい。自分の命にすら頓着していないように思われる飄々とした彼の生き方に、半次郎が惹かれてしまったのだ。
侍に憧れる半次郎に対して、源太は侍なんてくだらないものだと吐き捨てる。
飄々と明るく生きているように見える源太だが、その裏にはとても暗い過去があるようだ。
この映画で描かれているのは、やがて滅び行く侍の無惨な姿だ。
お上に忠誠を誓う侍は、例え相手が友であっても命令とあらば斬らなければならない。そうして源太はかつての友を斬り捨てたのだ。
そんな彼が忠誠を誓った武家社会は腐敗しきっていた。
そこには平気で私利私欲のために家臣を切り捨てようとする藩の重役の姿があり、仁義もへったくれもなかった。
藩に裏切られた侍たちの姿も無惨なものだ。
世のため人のためと大義を振りかざしていた侍たちが、極限状態に追い込まれた途端に欲望を抑えきれずに醜い姿をさらしてしまう。
源太は裏切られ孤立する七人の侍に、かつて自分が斬って友の姿を重ね合わせ、罪滅ぼしのために彼らに加勢する。
一方半次郎は藩政を我が物にしようとする鮎沢の悪巧みに飲み込まれ、討手となって源太らの前に立ちはだかる。
この鮎沢の企みはあまりにも卑劣だ。
彼は私闘に見せかけるために半次郎含む浪人を集めたのだが、もし彼らが七人の侍を無事に討ち取ったとしても、口封じのために皆殺しにするつもりであった。
だから七人の侍が立てこもっている砦の周りには浪人たちと、それを含めて抹殺しようとする討手たちが配備されている。
このどうしようもない極限状態を、源太はどう乗り切るのだろうとドキドキさせられた。
何だかあまりにも彼が飄々としているので、黒澤明監督の椿三十郎みたいに敵をバッタバッタと斬り捨てていく姿を想像してしまった。
実際に源太は恐ろしく強い。
しかし彼は捕らえられている家老の森内を助け出そうとして、あっさり捕まりボコボコにされてしまう。どうやら彼は完全無欠のヒーローではないらしい。
その後ボロボロの状態で源太は鮎沢を討つために藩邸に忍び込むが、そんな姿でも源太には期待せずにはいられない。
いつの間にか敵同士であることも忘れ、源太のために奮闘する半次郎の姿がおかしかった。
彼の底抜けに能天気なキャラクターもおかしい。
この映画で活躍するのは侍以外の者たちばかりだ。
百姓たちが太鼓を鳴らしてお祭り騒ぎをする終盤の場面は象徴的だった。
常に爆竹を放り込まれているような刺激の多い作品だが、喜劇色の強さもあり痛快な娯楽映画になっていたのは岡本喜八監督らしいと感じた。
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