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コーチ・カーターの1234のレビュー・感想・評価

コーチ・カーター(2005年製作の映画)
4.0
進学率よりも刑務所に入る確率の方が高いといわれる高校にバスケットボールクラブのコーチとして雇われたカーターは生徒たちとある契約を交わす。契約書にはバスケットボールとは全く関係のない事項が記されていた。

・2.3以上の成績をおさめること。
・授業には必ず出席し、一番前の席で授業を受けること。
・試合の日は正装すること。

生徒たちは馬鹿馬鹿しいと聞く耳をもたず、主力選手は次々と辞めていき、保護者からも反感を買ってしまう。学業なんてどうでもいい。将来の展望も人生の目標も希望もない。今の彼らにとってはバスケットボールが“全て”だからだ。「将来の目標はなんだ?君たちが落ちこぼれから這い上がれないこのシステムを変えたい」。次第にチームの結束は高まり、カーターの指導と生徒たちの努力の甲斐あってチームは連勝、州大会も間近に迫ったある日、生徒たちの学業成績が契約書の基準を下回っていることを知ったカーターは図書館で勉強するよう生徒たちに命じ、体育館の利用を禁止、試合への出場を辞退する。カーターの決断は生徒たちや学校だけでなく、保護者や教育委員会、地元メディアや地域の住民から激しいバッシングを浴びてしまう。プロの選手になれるのはごく僅か。カーターは生徒たちに「人生の勝利をつかんでほしい」と強く願っていた。「この簡単な規則も守れなければ、いずれ法も犯すようになる。生徒たちに規則を守る大切さを学んで欲しい」。そう訴えるカーターだったが…

実話。学校からも社会からも見放されたバスケットボール部員たちが、はじめて自らの人生と真剣に向き合う話。サミュエル・L・ジャクソンがコーチのクラブなんて生徒から死者が何人か出ても不思議ではないが、この映画でのサミュエル・L・ジャクソンは人殺しもしなければ、「マザーファッ○ー」も言わない。それでも怖いけど。予算の削減でアメリカの学校は体育の授業が廃止され、教員は安い給料で働いている。本作で最も驚くべき(そして、最も恐ろしい)点はこのなかに登場する大人たちのなかで、彼らにとって教育が大事だと思っている大人がカーター以外誰もいないということだ。この映画は“熱血コーチが不良生徒たちを優秀なバスケットボールプレイヤーに育てあげる”といった“スポ根もの”ではなく、劣悪な環境のなかで取り残された若者の現実や、そういった子供たちが救済されない教育システムの問題点など現実的な問題を扱っている。非常に感動的で素晴らしい映画だった。
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