真一

ひろしまの真一のレビュー・感想・評価

ひろしま(1953年製作の映画)
4.9
 ラストシーンが刺さった。焼けただれ、息絶えた広島の人々が、再び蘇り、こちらに向いて歩いてくる。まるで「私たちの屍を踏み越えて21世紀を生きるあなたは、本当に反戦平和のバトンを受け継いで生きていますか」と問いかけるように。スマホの画面から、こちらの世界に出てくるような気がして、怖かった。口先だけで、何も行動を起こさない自分の事なかれ主義を見透かされているようで、怖かった。

 終戦後の混乱期を生きる青年の言葉にも、胸を締め付けられた。ピカドンで両親を失い孤児として育った青年は、勤め先の工場が砲弾製造を始めたことに耐えきれず、仕事をさぼってパチンコをしていた。その青年が警察署で、学校の先生に涙ながらに語る。

「先生、戦争はまた始まるのですか。戦争が始まれば、今度は僕たちが戦地に引っ張り出されます。そして、何の恨みもない人たち同士で殺し合いをさせられるんです」

 涙が出た。この青年の叫びは、彼1人の叫びじゃない。もがき苦しみながら耐えた被爆者たちの、いや、凄惨な時代を生き抜いた多くの人々の、叫びだった。手垢の付いたセリフかもしれない。いや、だからこそ戦後日本の原点が、日本国憲法の根本精神がここにあると痛感した。魂を揺さぶられた。

 この作品が世に出たのは、ちょうど70年前の1953年8月だ。上述した通り、当時の日本は、ピカドンを含む戦争体験から来る「反核・不戦」の決意を、確固たる社会的規範としていた。汚職にまみれた政治家も、特高上がりの官僚も、誰かが「戦争すべし」などと言えば「貴様、何を言うか!」と烈火のごとく怒りだした時代だ。その思いを、誓いを、21世紀日本に暮らす私たちは、どれだけ引き継いでいるのだろうか。先人たちの決意に、本気で向き合っているのだろうか。多くの人に観てほしいし、考えてほしい映画だ。

 他方、本作品が原爆投下という「日本の被害」だけに焦点を当てていることに、思いをはせる必要があると感じた。残念ながら、侵略戦争や植民地支配などの「日本の加害」について言及するシーンは、見た限り、皆無だったからだ。この映画のメッセージは「日本人への非人道行為」にとどまらず「人類への非人道行為」を告発するところにある。だからこそナレーションだけでもいいから、中国、朝鮮半島、東南アジアの人々に対する蛮行に触れるべきだった。「日本の加害」を正面から取り上げた日本発の大作が見当たらないだけに、強く思う。

 そうした課題はあるにせよ、本作品が不朽の名作である事実に変わりはありません。核戦力で相手を威圧する「核抑止力」の必要性ばかりが叫ばれる今、この作品の放つメッセージは、これまでにも増して輝いていると感じます。
真一

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